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従兄弟を探したい(2) | 秘密のあっ子ちゃん(102)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。 

 私達は郵政省に問い合わせました。役所のこと故、例の「プライバシーの保護のため」という理由で調査拒否に合うことを覚悟の上で聞き込みに入ったのですが、係の人は思いの外、親切に対応してくれました。 「現職者については把握しておりますが、退職者については管理しておりません。ただ、昭和十年代という年代と退職当時かなりの役職に就いていたということが分かっていますので、ひょっとしたら判るかるかもしれません。マ、一度調べておきましょう」
 一週間後、私達は期待を胸に、再度訪ねたのでした。しかし、結果は思うようになりませんでした。
 「古い資料や名簿を調べましたが、戦前のものは何も残っていませんでした。お役に立てずすみません」 がっかりでした。しかし、忙しい中、様々な書類を探してくれた係の人に文句を言う筋合いのものではなく、私達がすべきことは次の方策を考えるべきことでした。私達は彼の親切に感謝して、次の聞き込み先に向かいました。
 それは、依頼人の従兄弟のうちの一人で、十六歳で亡くなっている姉の方が通っていた学校でした。この女子校は戦前から有名な女学院で、依頼人は母からその女学院の名前を聞いて、強い憧れを持っていたためよく覚えていたのでした。
 学生課に着くとすぐに、同窓会事務所を教えてくれました。事務職員が古い名簿を繰って、丁寧に調べてくれましたが、残念ながら依頼人の従姉妹の名前は見つかりませんでした。
 「十六歳で亡くなっておられるのでしたら、卒業できなかったんでしょうねぇ。この名簿には、在学されていたとしても、卒業された方しか載りませんので……。お力になれず申し訳ありません」
 職員の人はそう言いました。ここでも依頼人の従兄弟達への糸口はぷっつりと切れてしまったのでした。 やむなく、私達は全国の同姓同名の人を当たり始めました。
 一軒目、「主人には、若い頃に亡くなったというような姉はおりません。同姓同名の人違いですねぇ」
 二軒目、「私の夫の母はそんな名前ではありませんよ」
 三軒目、「私の母も姉も名前が違いますねぇ。間違いでは?」
 四件目、「私の母は健在です」
 私達は依頼人(52歳)の従兄弟と同姓同名の人、全てに対して確認作業を行いました。しかし、一向に当人にはぶつからず、結局、該当者は現れませんでした。 私は[万が一」と思い当たるところがあり、依頼人の叔母が後半生、共に暮らした男性の姓で、もう一度全国の同姓同名の人を当たるように、スタッフに指示しました。
 「夫の父は郵政省には勤めておりませんでした」
 「私には姉はおりません」 「年令がちがいますねぇ」 「母はそういう名前ではありません」
 こんな反応がずっと続いたのですが、何十軒目かの電話で、スタッフの声が変わったのです。
 「えっ?! それではお姉さんは十六歳の時に亡くなっておられるんですね?お父さんは郵政省の役職だったわけですね? では、こういう名前にご記憶はないですか?」
 スタッフが依頼人の名前を告げると、受話器の向こうから、「それは私の従姉妹の名前です! 母から生前、よく聞いておりました!」という反応が返ってきました。
 彼こそが、依頼人が何十年も探していた従兄弟でした。
 「えっ?! それでは、お姉さんは16歳の時に亡くなられていて、お父さんは郵政省の役職だったんですね?!」
 電話口のスタッフの声色が変わりました。
 今度は、スタッフの方が彼の質問責めに合うことになりました。
 「従姉妹は元気にしているんですか?」
 「今、どこに住んでいるんですか?」
 「他の従兄弟達はどうしていますか?」
 「私のことがよく分かりましたねぇ?」
 彼の話によると、依頼人達兄弟の名前は、亡くなった母、つまり依頼人の伯母からよく聞かされていたと言います。「もう少ししたら、会いに行こうね」と言われ続けながら、結局、それは突然の母の死で実現しなかったのでした。しかも、昭和十八年という、戦局が悪化していく最中のことで、その後戦中、戦後と、彼は従姉妹達を探している余裕はなかったのでした。世の中が落ち着いた頃、彼は従姉妹達を探し始めましたが、その願いは叶えることができず、今日に至ったと言います。
 依頼人(52歳)が何十年も探していた従兄弟は、私達にこう語りました。
 「私が生まれてすぐに、母は離婚しました。祖父母は離婚自体に大反対で、母は勘当同然となったのです。母は死ぬまで口にしませんでしたが、私の推測では恐らく、父、いえ正確には養父ですが、その父と恋に落ちたせいだと思います。結局、母は最後まで父と籍を入れませんでした。しかし、父は私と姉を養子として入籍してくれたのです。母が私達に『しばらくしたら、従兄弟達に会いに行こうね』と言っていたのは、自分が祖父に許されたらと思ってのことだと思います。今回、私を探してくれた従姉妹のお母さんと母とはとても仲が良かったそうですから、祖父の怒りで姉妹が会えない状態になっているのを随分悲しく思っていたに違いありません」
 昭和三十年代、彼は従兄弟達を探し始めたのことでした。しかし、母が詳細なことを話してくれていなかったために、その調査は断念せざるを得なかったのだということも、彼は私達に話してくれました。
 「今回、私を探してくれて、従姉妹には大変感謝しています。これで、五十何年間かの胸のしこりが取れた想いです」
 彼は最後にこう言いました。
 しばらくして、二人は、いえ二人のみならず、依頼人の一族の従兄弟達は劇的な再会をすることができたのでした。

<終>

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