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愛と青春の旅立ち(2)

これは1994年に出版された、佐藤あつ子著「初恋の人、探します」(遊タイム出版)に収録されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。
 開戦の翌年、義雄は日直に替わり、正月三が日を事務所に詰めていた。
 元旦の朝、目立たないように、史重がおせちを持ってきてくれた。
「三日分には足りないかもしれないけど……、うちでついたお餅とお煮しめです。母がお口に合うかどうか、心配してました」
 史重はそう言うと、玉手箱でも持っているかのように大事に抱えた風呂敷包みを置き、すぐに帰っていった。
 包みの結び目を解くと、古めかしい南天蒔絵の重箱が二段。ふたを開けようとした時、ぱらりと白い紙が落ちた。
「明けましておめでとうございます。よろしくお願い申し上げます」
 史重の母の手紙だった。筆で丁寧に書かれてある。
「よろしく」の前に、「娘を」と加えたかったであろう母親の気持ちが、痛いほど読み取れた。年ごろでなくても男女関係に厳しいこの時代、史重の母は本人以上に気をもんでいるに違いない。
手紙を添えずにはいられなかった母の心情に、今さらながら史重への責任を痛感した。
 昨年の春、何度目かのデートの時、義雄は前々から考えていたことを、思い切って史重に伝えていた。
「いつまでもこんな形ではなしに、はっきりと結婚を目標にして歩んでいきたい。でも、戦争はもっと厳しくなるはずだ。どんなことが起こっても辛抱してついてきてくれとは、今の僕には言えない。お互い、明日また会えるかどうかもわからない。ずっと先の結婚の約束なんかできないと君が思うなら、僕は今のうちにあきらめる」
 いつ何時、死と直面しなければいけなくなるかもしれない自分の任務を考えると、義雄にはそんな言い方しかできなかった。
「……しばらく……、しばらく待ってちょうだい」
絞り出すようにやっとそれだけを言うと、史重はワッと声を上げて泣き出した。
 史重からの返事はなかなかもらえなかった。
 ある時、義雄は史重の友人の大石由美から、彼女がずいぶん悩んでいることを聞かされた。
「フミちゃん、若松さんのお母さんのこと、えらい気にしてはるよ。とってもむずかしそうな人やから、自信ないって言ってやった。それに、戦争がどうなっていくのかどうかも……。若松さんは、なんかちょっと普通の男の人と違うとこがあるような気がするって……」
 義雄の母親は戸籍上は実母となっているが、育ての母だ。実の母は、彼が生まれた次の日にこの世を去った。
 「ぜひ『義雄』という名にしてやって下さい」
 と言い残して。
 事実を知ってからも母親には何も言っていない。今まで育ててくれた母の気持ちを考えると、とても言えなかった。しかし血がつながっていないという気持ちのひっかかりは、母親に対するすべての面で「遠慮」という形で表れていった。幼いころは極端に病弱だったこともあり、とりわけ商業学校合格直後に父が他界し、貧困の中で母一人の手で育てられるようになってからは、なおさらのことだ。
 史重から返事を聞いたのは、義雄がプロポーズしてから三ケ月以上たった七夕の夜だった。
「あなたに引っ張ってもらって、どんなことになってもついて行きます」
 義雄は史重に自分の手を差し伸べながら言った。
「命を永らえることができたならば、結婚しよう。その日までは、ふたり、清潔でいよう」
 そうして、固く手を握りあった。彼女の手は温かかった。
 史重は義雄の手をじっと振りながら、はるか遠くを見ているような義雄の顔を、涙をいっぱいにためた目で見つめていた。その夜は織姫も牽牛も見えなかった。
 四日、日直が明けて閉店になると、義雄は史重と約束した池田駅のホームに急いだ。
 いつもは五分前には必ず着いている義雄が、その日は大きな紙包みを抱え、めずらしく遅刻してしまった。史重は乗降客に見られないよう、風が吹きさらす待合所の西側で、羽織の上に肩掛けをして立っていた。
ふたりは宝塚方面の電車に乗った。初詣の客もその時間帯はもう少なく、空いていた座席に並んで掛けた。それでも、お互い知らぬ者同志のように少し間を空けて座っていた。
「いつか、ふたりで宝塚の舞台を観たいわ」
 史重が独り言のようにつぶやいた。彼女は大のタカラヅカファンなのだ。
「あの宝塚の舞台で見るような、ふたりが堂々と街を歩ける西欧の世界に行ってみたい」
 それを聞くと義雄はつらかった。こうして会っていても、いつも人目をはばかっていなければいけない。
「せめて、舞台を観にいくぐらいのことはかなえてやりたい」
 切実にそう思った。
 車掌は電車が駅に到着するたび、ホームの端から端まで走って全車両の扉を外から開けて回る。
乗客が乗降したのを確認すると、外から鍵をかけて笛を吹き、発車すると最後部に勢いよく飛び乗る。そんなことを八回も繰り返すと、電車は宝塚に着いた。
 宝塚駅の待合所のベンチに腰かけ、義雄は持っていた紙包みを史重に渡した。
「本当は僕が返しに行くべきだが。元旦に頂いた重箱、荷物になってすまないが、君から返しておいてもらえないかな。君のお母さんの心づかいには感謝しているよ。いずれ、ごあいさつに行く時が来るはずだけど……」
 そこまで言って、口をつぐんだ。そして、
「重箱に甘栗を入れておいたよ」
 と言いながら、茶封筒を史重に渡した。
 最初「何ですか?」という顔で封筒を受け取った史重は、手触りでそれが何であるのかがわかったのか、今にも泣き出しそうな顔になった。
 それは印鑑と貯金通帳だった。
 封筒から取り出して通帳に善かれた名前を見て、今度は本当に泣き出してしまった。
「若松史重」
 史重は震える手でそれを握りしめ、うつむいたままただ泣いていた。
「歩きながら話そう………。清荒神へお参りに行こう」
 いつになく命令口調の義雄の言葉に促され、ふたりはゆるやかにカーブする参道の坂道を歩き始めた。今津線のガードをくぐり抜け、十字路を越すと、もう誰に会う心配もない。
「実は、僕には抜け出せない大事な任務があるんだ。君ならある程度察しがつくかもしれないが、僕の口からはそれ以上は言えない。その仕事はもう五年続けてきた。任務終了まで、あと三年は辞められない」
「百貨店の給料は、少ないながら今まですべて母親に渡してきた。この通帳に入っている金は別口の任務の分だ。これは、君が若松史重になってくれる日まで預かってもらいたい。あと二年以内に、日本が勝てればの話だが……」
 義雄は、うつむきながら黙ってついてくる史重に話し続けた。
 参道に店が立ち並びはじめ、足元が少し明るくなってきた。
「私、何も聞かずに、これをお預かりしておきます。私と一緒に疎開させられたつもりでいらっしゃって下さい」
 かなりたってから、史重は覚悟を固めたように、そう答えた。
「ふたりとも、大変な時代に生まれてしまったもんだなあ」
 義雄はひとり言のように言った。
 その年の夏、義雄は親会社である丸忠の名古屋支店に転勤となった。
「七月五日から十五日の間連絡中止。着任後直ちに送受信体制整備、名古屋連絡事務所に報告せよ。機器類は新規引渡し、従来機は予備機として調整携帯許可す。従来以上の健闘を祈る」
 軍からの指示も届いた。
 史重とは今までにも増して会えなくなった。彼女からは頻繁に手紙が届いていたが、自分のことについては、短い文を数行書き送るだけだった。
 義雄は兵役を免除されていたが、その任務は戦地と比べても苛酷で危険なものだった。
 転勤早々、工場爆破計画情報を事前に入手し、十五分前に処理して大事故を未然に防いだ。出張名目の横須賀通いが連日のように続き、軍の指示で急きょ呉から乗り込んだ潜水艦の進路変更のため、はるか赤道まで至ったこともある。そのころ、義雄は爆弾の破片を受け、右足に傷を負った。応急手当てはしたものの、傷口が化膿して脚全体が腫れ上がり、軍病院で切開手術を行った。
治療は済んだが、歩行にかなりの苦痛を感じるようになってしまった。
 義雄は苦悩していた。
 彼は「大本営発表」 ではなく、真実を熟知している。戦況はますます日本側に不利になってきていた。そんな中、常に死と隣り合わせにある自分が、史重にできる「誠意」とは何なのか?
「最後まで命を共にすべきか、日本にいるうちに、最後のさようならを言うべきなのか?」
 この戦時下、お互い、相手の立場を思う心だけで支え合ってはいるものの、会う機会もなかなかとれないまま、史重の忍耐も限界に近づいてきている。
 義雄は決断を迫られていた。
<続く>

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