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ラッキー7で恋をした (2) | 秘密のあっこちゃん調査ファイル:

 これは1994年に出版された、佐藤あつ子著「初恋の人、探します」(遊タイム出版)に収録されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。
「今日こそ彼女の名前を知るぞ」
 最初のうちは遠くから眺めているだけで満足だった。7月に入り、タイガースのホームグラウンドでの試合が連続して、毎日のように彼女の姿が目に入るようになると、急に彼女のすべてを知りたくなっていた。とにかくまず名前を知らないことには…。
 それほど難しいことではない。制服の胸につけている名札を見ればいいのだ。しかしこれまでの二ヶ月以上、孝はその「名札を見る」という行為さえ、勇気がなくてできなかった。なにせ、彼女の半径5メートル以内の距離に近づくことさえできなかったのだから。
 甲子園の開門2時間前に入った孝は、従業員食堂とロッカー室の通路を何度も往復した。ウロウロしているのを食堂のおばさんに変に思われるのがいやで、さほど空腹でもないのにきつねうどんを注文した。食堂を見渡しながら、ゆっくりうどんをすする。客がはいってくるたびに、入口を振り返ったが、彼女ではなかった。うどんの汁まで飲んでしまうと、もうここにいる理由はない。しかたなく食堂を出て、ゆっくりした足どりで再び受付係のロッカー室へ歩いて。職員の一人が、ボーッと歩いている孝を避けるように足早に走り去った。
 「あの人はどこにいるんやろう?まだロッカー室の中かなあ」
 所在なげにロッカー室の前で立ち止まってはみたが、中まで入って見てみようという勇気などとても出てこない。
 と、彼女が前から歩いてくるのが視界に入った。どんどんこちらに近づいてくる。
 足がすくんだ。鼓動が激しく打ち始める。
 ただひたすら名札の字を見落とさないようにと目を凝らし、胸元だけを見た。
 「会田優子」
 その名前をしっかりと頭に刻み込んだ。
 とにかく彼女の名前はわかった。
 しかし状況は相変わらずだ。
 試合前に通路ですれ違った時に「こんにちは」とあいさつしてみようか。彼女はよくロッカー前で同僚と立ち話しているから「皆さんはどこから来てるんですか?」とか話しかけてみたらどうだろう。タイミングを見計らって球場を出て、「大学生なんですか?」と尋ねてみてもいいかもしれない。
 あれこれ考えてはみるものの、実際にはなかなか行動に移せない。ましてやデートに誘うなんて、とんでもないことだった。
 彼女は、-優子はいつも同僚の女の子と一緒だった。
 「ほかの女の子たちがそばにいるから、話しかけるチャンスがないんや」
 彼女が一人にならない限りだめだ。そう自分に言い訳していた。もっと言うなら、孝は優子と自然に話すきっかけが生まれる都合のいい“偶然の奇跡”だけを待っていたのだ。
 まだ時間はある。“偶然の奇跡”は必ず起こってくれる。
 高校野球も終わり、タイガースがロードから帰ってきた。しかしシーズンが終わるまでにはまだ十分時間がある。いずれ優子と話すことができる。孝はそれだけを待っていた。
 その年の阪神は調子が悪く、甲子園の観客動員はがた減りしていて、孝の売り上げもかんばしくなかった。まだまだあると思っていたペナントレースも、いつの間にか終わっていた。
 結局「会田優子」には話しかけられなかった。
 昭和63年、その年のタイガースは結局最下位。チーム成績がずるずると後退していくなかでバースが退団。シーズン半ばで掛布が引退を発表した。まだ33歳の、あまりにも早い退団だった。
 元号が平成に変わり、阪神の甲子園戦初日、孝は再び球場に向かっていた。
 去年の夏の恋をあのままで終わらせたくない。彼女はもう一度甲子園にアルバイトに来ているかもしれない。
 考え込んでいて、あやうく梅田の自動改札機で切符を取り忘れそうになった。
 「あの人に会いたい」
 一途な気持ちだけが孝を動かせていた。
 その日、孝は授業の都合で規則より少し送れ、開門の一時間前に甲子園に着いた。受付係のロッカー室や従業員用食堂の周辺をそれとなく見たが、優子の姿はない。案内係の制服を着た女の子たちは、どの子も見慣れない顔ばかりだった。この時間になって来ていないのはおかしい。
 「去年きりで辞めたんや」
 思い当たると、急に力が抜けてきた。
~続く~

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