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離婚した妻と娘は・・・(1)| 秘密のあっ子ちゃん(184)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

二年前の春の初めのある日、梅が咲き始めたちょう ど今ごろの季節のこと、その日やって来られた人は五 十才手前の男性でした。彼は、現在大阪府下で小さな 工務店を経営しています。
彼が探したいというのは、二十二年前に離婚した妻でした。
高校三年生の時に知り合った彼女と四年の交際後、「まだ若すぎる」という両親の大反対を押し切り、彼 は二十二才の秋に結婚しました。一年後、長女が誕生 し、そしてその二年後には次女が誕生しました。
彼は高校を卒業してすぐに小さな建設会社に就職し ましたが、長女が生まれたころに、その会社は放漫経 営のために倒産してしまったのです。
生計をたてるために、彼はすぐに別の建設会社に就 職しました。しかし、新しい職場では人間関係がうまくいかず、半年も経たないうちに辞めてしまいました。それからも建設関係の会社に職を求めるのですが、何故か長続きせず、職場を次々と変える状況が続きました。
次女が誕生するころには、彼はもう職探しもせず、毎日ブラブラし、そのうち暇をもて余したのか、パチンコや競輪、競馬に通い続けるありさまでした。
当然、家計はみるみるうちに火の車となり、生まれ たばかりの次女のミルク代にも事欠くようになってい きました。あれだけ愛し合い、「まだ若すぎる」とい う親の大反対を押し切って結ばれた妻とも毎日口論が 絶えません。
「今から考えると何をしていたのかと思います。些 細なことですぐにケツを割って、妻も子もあるという のに、本当に甘いガキでした。妻が怒るのも当たり前 です」彼はそう述懐しています。
そんな生活に耐えかねて、彼女はついに離婚届を彼に突きつけました。生活の荒れ方と同様、心も荒れ、妻子の存在までもが負担になっていた彼はあっさり離婚に同意したのでした。長女が三才、次女が一才の時のことです。結婚生活は僅か四年で終止符を打たざるを得ませんでした。
その後も彼の荒れた生活は続きました。定まった職 にも就かず、博奕にうつつを抜かし、ろくな物も食べ
ず、酒ばかりあおる生活でした。身も心もすさんでいました。そうした彼の状況を知った両親と兄はひどく怒り、それでも行状を改めない彼を見放していました。
離婚後三年程して、彼はついに胃と肝臓を壊して長 期の入院が必要となってしまいました。半年の入院生 活の中で、彼はつくづくこれまでの自分の生活を反省 せざるを得ませんでした。
やっと身体も回復し、退院した彼は、生まれ変わっ たように働き始めました。怒りながらも入院費を立て
替えてくれた兄への返済のためにも、博奕の誘惑に惑わされないためにも、彼は飯場で寝泊りし、身を粉に して働き始めたのです。
妻子達は離婚後実家に戻ったことは知っていました が、その後彼女の実家自身が引っ越ししたのか、連絡 が取れませんでした。彼は妻子達がどうしたのかを全 く知らないまま、二十六年 の歳月を過ごしていました。

<続>

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