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巫女さんに一目ぼれ(1)| 秘密のあっ子ちゃん(186)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

一目惚れというものは、その多くが相手の連絡先は おろか、名前すら知らないもののようです。
彼の場合もそうでした。
今回の主人公は三十二才。プレイボーイのような一目で女性を魅きつけるような華やかさはありませんでしたが、真面目で誠実そうな青年でした。話しているとなかなかしっかりした考えの持ち主であることが分かりました。ただ少し難点なのは女性に対してシャ イなことのようです。
彼は二十五、六才のころに恋をし、三、四年つきあ った女性がいました。ところが、彼の方からはっきり 意思表示をしなかったせいか、いつしか自然消滅のよ うな形で別れを迎えたのでした。風の噂では、彼女は 去年嫁いだと聞きました。
彼はどうも十代の頃から異性に対して積極的に出れ ないようです。それに加えて、彼女と別れた後は何故か心動かされる女性が現れません。
それがつい先日、自分でも驚くほど心ときめく女性 が現れたのです。初めて彼女を見た時、彼は自分の心 臓が止まるかと思いました。巫女姿の彼女はとても神々しく見えたものです。
彼女は、彼が仕事で出向いた神社でアルバイトの巫女さんをしていた女性だったのです。
彼は広島ではかなり大きな警備会社に勤務し、ガードマンとして様々な場所で働いてきました。
その日、彼が会社から指示されたのは、総合結婚式場を合わせ持つ有名な神社の警備でした。この日は大安に当たり、神社は大変な混雑ぶりでした。
ひっきりなしに入ってくる親族や招待者達の車を整 理しながら、ふと式場の受付を見ると彼女が立ってい たのです。長い髪を後ろで一つに束ねて、白い着物に 赤い袴を付けた巫女姿の彼女は、そこだけ光が射して いるようでした。
車を誘導するために上げていた手を止めて、ただ茫 然と見とれていた彼は、車のクラクションで我に返り ました。それからは絶え間なく入ってくる車の整理に追われ、式場の受付を見遣る余裕もありませんでした。
車の波も一段落した頃、受付にはもう彼女の姿はあ りませんでした。その日、彼は仕事の合い間を盗んで は、神社や式場のあちこちを彼女の姿を探しました。 が、もう彼女の姿を再び見ることはできませんでした。
たったそれだけの出会いでした。しかし、彼にとっ ては決して忘れられない出会いとなったのでした。
もともとシャイな性格の彼のこと故、宮司さん に「午前中に式場の受付に立っておられた巫女さんは何という方ですか」などと聞くことなど思いもよりませんでした。それを聞けるくらいなら、彼の想いもこれほど深くならなかったのかもしれません。
もちろん、彼の依頼というのは、彼女がどこの誰なのかを知りたい、もう一度会いたいということでした。
話を聞いて、私は唸りました。「調査と言っても、このケースでしたら、神社の関係者に彼女のことを聞き込むしかありませんヨ。もし、神社の方が教えてくれなければ他に打つ手はありませんし・・・」
私は、”自分自身で聞きに行けば無駄なお金を使わずに済むのに”と踌躇していました。
私のそうしたとまどいを察したのか、彼はこう言ったのです。
「それでも構いません。どうしても自分では聞きに行けないのです」

<続>

 

離婚した妻と娘は・・・(2)| 秘密のあっ子ちゃん(185)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

半年の入院生活を終えると、彼(48才)は生まれ変わったように働き始めました。飯場を振り出しに全国いたる場所の建設現場で、身を粉にして無我夢中で働きました。これまでのすさんだ生活と決別するためにはそれしかないと思い決め、歯を食いしばってがんばったのです。
三年程して彼はその真面目な働きぶりを請われて、 小さな工務店へ入りました。そこで長年勤め上げ、番頭として店を任されるようになりました。そして離婚して二十六年経った今では、自分で工務店を経営できる身となったのです。
その間、彼は妻子達はどんな生活をしているのか、どこで暮らしているのか、全く知らないでいました。離婚前に知っていた妻の実家はどこかへ引っ越していて、娘達の成長の様子を聞こうにも連絡の取りようがありませんでした。彼としても離婚の原因が自分の行状にあったことを重々承知していましたので、敢えて連絡をするのも惮かられ、結局そのまま二十六年の歳月が経ってしまったのでした。
それが、つい最近、兄から「実は、二年前に俺とこへ連絡が入っていた」と打ち明けられたのです。
妻は下の娘が結婚するのを機に、その報告と近況を 知らせてきたのでした。離婚後転々と住居を変えてい た彼に彼女側からも連絡を取りようもなく、やむなく兄へ連絡を寄こしたのでした。彼女は同時に娘の花嫁 姿の写真を送ってきていました。兄はそのことを、二年も話さずにいたのです。
お兄さんとすれば、必死の思いで立ち直り、再婚も して一男一女の父親となり、今や小さいながらも「社長」と呼ばれるまでになった弟可愛さからのことでした。彼に今さらあの荒んだ昔を思い出させるようなことはしたくなかったのでした。ですから、彼女には何の落ち度はないことはよく分っていましたが、弟と直接話させたくありませんでした。
彼女は兄の冷たい対応にそうしたことを察してか、 自分の居所も連絡先も言わなかったと言います。ただ 「娘が結婚したということを伝えてもらえば結構です」それだけ言って、電話を切ったのでした。
彼も驚きました。兄が二年間もそのことを伏せてい たこともそうですが、離婚したとはいえ二十四年間も 放ったらかしにしていた自分に、妻の方から娘の結婚 の報告を入れてきてくれたことに、今さらながら有難 く、また申し訳ない思いで一杯となったのでした。
「あれだけ苦労をかけたのに、ちゃんと娘の結婚を 知らせてくれたアイツに感謝しています。娘達にも父 親らしいことを何もしてやらず、本当に悪いことをし ました。佐藤さんから見れば何を今さらと思われるか もしれません。それに、探してもらっても会いに行く 勇気が出るかどうか分りませんが、どこでどんな生活 をしているのか、この二年間、そのことだけが気にな って・・・」彼は、そう私に言いました。
こうして、私達は彼の前妻と娘さん達の所在の調査 を開始したのでした。
彼の前妻と二人の娘さんの所在は、早い時期に判明して きました。当然と言えば当然なのですが、依頼人が、妻であった彼女のことについて探す手がかりとなる材料をたくさん知っていたからでした。
彼女は彼と離婚して五年程後に再婚していました。そのご主人も三年前に亡くされ、現在はご主人の地元で一人、小料理屋を経営されていました。下の娘さん は、彼女の連絡どおり二年前にサラリーマンと結婚し て、今や一児のママとなっています。上の娘さんは独身で、旅行会社の主任として仕事にがんばっていまし た。
彼は私達が作製した報告書を黙って受け取って帰っ ていきました。私も彼に今後どうしようと考えている のかなどということは聞きませんでした。そうしたこ とを気安く聞くことがあまりにも興味本位のような気 がしてはばかられたのです。
それから、依頼人から当社への連絡は入っていませ ん。私は彼が前妻と娘達に再会したのか気になってい ますが、今もこちらからの連絡はひかえています。彼の方からの連絡を待っているのです。いつか、いい報 告をくれることを期待しながら・・・。

<終>

 

離婚した妻と娘は・・・(1)| 秘密のあっ子ちゃん(184)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

二年前の春の初めのある日、梅が咲き始めたちょう ど今ごろの季節のこと、その日やって来られた人は五 十才手前の男性でした。彼は、現在大阪府下で小さな 工務店を経営しています。
彼が探したいというのは、二十二年前に離婚した妻でした。
高校三年生の時に知り合った彼女と四年の交際後、「まだ若すぎる」という両親の大反対を押し切り、彼 は二十二才の秋に結婚しました。一年後、長女が誕生 し、そしてその二年後には次女が誕生しました。
彼は高校を卒業してすぐに小さな建設会社に就職し ましたが、長女が生まれたころに、その会社は放漫経 営のために倒産してしまったのです。
生計をたてるために、彼はすぐに別の建設会社に就 職しました。しかし、新しい職場では人間関係がうまくいかず、半年も経たないうちに辞めてしまいました。それからも建設関係の会社に職を求めるのですが、何故か長続きせず、職場を次々と変える状況が続きました。
次女が誕生するころには、彼はもう職探しもせず、毎日ブラブラし、そのうち暇をもて余したのか、パチンコや競輪、競馬に通い続けるありさまでした。
当然、家計はみるみるうちに火の車となり、生まれ たばかりの次女のミルク代にも事欠くようになってい きました。あれだけ愛し合い、「まだ若すぎる」とい う親の大反対を押し切って結ばれた妻とも毎日口論が 絶えません。
「今から考えると何をしていたのかと思います。些 細なことですぐにケツを割って、妻も子もあるという のに、本当に甘いガキでした。妻が怒るのも当たり前 です」彼はそう述懐しています。
そんな生活に耐えかねて、彼女はついに離婚届を彼に突きつけました。生活の荒れ方と同様、心も荒れ、妻子の存在までもが負担になっていた彼はあっさり離婚に同意したのでした。長女が三才、次女が一才の時のことです。結婚生活は僅か四年で終止符を打たざるを得ませんでした。
その後も彼の荒れた生活は続きました。定まった職 にも就かず、博奕にうつつを抜かし、ろくな物も食べ
ず、酒ばかりあおる生活でした。身も心もすさんでいました。そうした彼の状況を知った両親と兄はひどく怒り、それでも行状を改めない彼を見放していました。
離婚後三年程して、彼はついに胃と肝臓を壊して長 期の入院が必要となってしまいました。半年の入院生 活の中で、彼はつくづくこれまでの自分の生活を反省 せざるを得ませんでした。
やっと身体も回復し、退院した彼は、生まれ変わっ たように働き始めました。怒りながらも入院費を立て
替えてくれた兄への返済のためにも、博奕の誘惑に惑わされないためにも、彼は飯場で寝泊りし、身を粉に して働き始めたのです。
妻子達は離婚後実家に戻ったことは知っていました が、その後彼女の実家自身が引っ越ししたのか、連絡 が取れませんでした。彼は妻子達がどうしたのかを全 く知らないまま、二十六年 の歳月を過ごしていました。

<続>

「惚れたはれた」を超えて・・・(2)| 秘密のあっ子ちゃん(183)

 これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

 二つ目の例外というのは、依頼人自身が「ひょっとしたら、彼女は俺のことを怒っているかもしれない」と、依頼時に漏らしていたケースでした。
それは依頼当時四十代後半で、衣料品関係の商売をしている男性でした。若いころはなかなかのプレイボーイで、女友達にはこと欠かなかったと言います。そうした傾向は今も変わりないようで、キタやミナミで盛んに浮名を流しているようです。
ところが、そんな依頼人でさえも、「会いたいということやないんや。昔、えらい悪いことをしたから、 謝っていたと一言伝えてくれればそれでいい。彼女は 病弱やったので、なおさらずっと気にかかっていたん や」などと、殊勝なことを言うのです。
出会いは三十年前。彼が十八才、彼女が二十才でし いた。彼はある温泉の旅館でアルバイトをしていまし た。病弱な彼女はその旅館へ長期に療養に来ていたの です。
透き通るような肌に、憂いを秘めて少しもの淋しげ な表情の彼女を、彼は初めから目をつけていました。 十八才にして既に何人もの女の子を泣かせていた彼に とって、病弱のため家に籠こりがちで世間知らずの彼女を口説くのは訳ありませんでした。夏休みが終り、 彼が大学に戻った後も二人のつきあいは続きました。
彼の学生生活も二年が過ぎ、三回生の秋を迎えよう としていました。その間、彼女はやはり家に引き籠りがちで、時たま彼が映画や食事に連れ出すことだけが 彼女の外出となりました。もっとも、それすらもすぐ に疲れて、彼女は長時間人気に触れているのは困難で した。彼女の自宅が二人のデート場所となることが多 くなっていきました。彼女の両親も二人の仲を最初か ら認めていて、彼は自由に出入りしていました。彼女 かはかなりの資産家の娘で、その豪邸に遊びに行くのは悪い気はしなかったものです。
もちろん、彼は学内にもアルバイト先にもガールフ レンドがおり、当時、同時に何人もの女性とつきあっ ていたことは彼女には秘密でした。
三回生の冬休みに入ったころ、彼女は頻繁に「結婚」という言葉を口にし始しめました。彼はその言葉を適当にあしらっていたのですが、四回生になって本格的に就職活動を始めるころになると、彼女の両親までが結婚する意志があるかどうかを問い正し始めまし た。
彼女は完全に彼と結婚できると信じていたようで
す。彼もまた、両親の手前、承諾するかのような返事をした記憶があります。それで、何となく彼が大学を卒業したらできるだけ早い時期にいい日を選んで式を挙げるという話ができあがっていきました。
ところが、四回生の冬休みに入ると、彼は突如とし て彼女の前から姿を消したのです。授業に出なくても もう卒業はできましたし、下宿にも帰りませんでした。別のガールフレンドの所へ転がりこんでいたのです。彼女が首を長くして彼を待っていることは分っていましたが、二度と彼女の家へ行きませんでした。そしてそのまま、彼女の知らない関西で就職したのでした。
その地方では有数の資産家である彼女の家を探すの は難しいものではありませんでした。彼女は婿養子を とって、二人の子供にも恵まれていました。
私が彼女に体調のことを尋ねると、「昔は大変病弱でしたが、結婚してから普通の生活ができるようになりました」と、にこやかに答えてくれました。しかし、依頼人の名を口にした途端、厳しい表情になって、「記憶にもない方ですので、ご連絡していただく必要はありません!」と、私に次の言葉を言わせないくらい強い口調で言ったのでした。
そのことを依頼人に報告すると、彼は「覚えていな いはずはない。それだけ、未だに怒っているということか・・・」とつぶやきました。それから、何故彼女が 自分のことを忘れるはずがないかをえんえんと説明し 始めたのです。それはまるで、私に説明することによ って、心の整理をしているかのように見えました。お陰で私は、三十年前、二人に何があったのかという詳しい事情を知ることになる訳ですが・・・。
私は彼の説明を聞きながら、「そういうことやったら、自業自得というか、マ、しゃあないわネ」と思いました。だけど、やはり一生懸命私に説明している彼が少しかわいそうに思えたのでした。

<終>