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戦後の混乱の中で(1) | 秘密のあっ子ちゃん(73)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

今回はもう五十年近く前に知り合った人を探してほしいと言ってきた、一人の老人のお話をしましょう。
彼は現在71歳です。戦後の混乱が続く昭和二十二年、彼は一人の女性と知り合いました。彼が22歳、彼女が20歳の頃のことです。
彼は在日韓国人です。あらゆる人々が苦労を重ねたあの時代において、彼は在日韓国人であるが故に、更なる辛酸を嘗めつくしてきました。戦前、戦中の差別はそれはひどいもので、そのころのことを彼は多くは語りませんでしたが、それが却って筆舌に尽くしがたいものであったことが容易に想像できました。戦後は戦後で全ての人がそうであったように、彼にしてももう食べていくだけで精一杯でした。
そんな時に知り合ったのが彼女です。
彼女は沖縄出身の人でした。戦前より兄を共に関西へ出てきていたのですが、沖縄戦で両親を失い彼女もまた苦労を重ねてきた人でした。しかし、そんな中でも彼女の人柄は明るく、屈託のないものでした。
彼女のそうした性格はともすれば沈みがちな彼の毎日を救ってくれるように感じられたのでした。
知り合ってしばらくすると、二人は同棲し始めました。二人の新生活は、近くに住む彼女の兄も賛成してくれました。そして、彼の両親も彼女の屈託のない性格を大層気に入り、我が娘のように可愛がったのです。
しかし、二人は入籍はしてませんでした。食べるのが精一杯の混乱した時期だったということもありますが、在日韓国人だという彼の国籍が影響していました。二人は二年を共に過ごしました。しかし、そのうちに彼は「このままでは子どもを産むに産めない。彼女にとってこんな自分より、ちゃんと入籍できる人と一緒になる方が幸せなのではないだろうか」と思いはじめました。
彼はそれとなく彼女に話しました。もちろん、彼女は烈火の如く怒って反論しましたが、結局、それをめぐってのいざこざの後、二人は別れたのでした。
それから十数年経ったある日、彼は偶然にも難波駅で彼女を見かけました。小学五、六年の男の子を連れて歩いていた彼女を見て、「ああ、幸せに暮らしているんだなぁ」と安心して、声もかけずに立ち去ったのでした。
<続>

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