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戦後の混乱の中で(2) | 秘密のあっ子ちゃん(74)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

 彼女と別れて十数年、小学生の男の子を連れて歩いているのを町で見かけた依頼人(現在71才)は、「ああ、幸せに暮らしているんだなぁ」と安心して、声もかけずに立ち去ったのでした。彼もまた三十才代の働き盛りである上に、親の勧める同胞の娘さんと既に結婚し、二人の子供を儲けていました。生活もやっと安定し、二人の子供のためにも夢中で働く忙しい日々を送っていたのです。彼女のことはそれでひと安心し、彼の生活の中ではしばらく彼女のことを考える余裕もありませんでした。
しかし、それから何年か経って、幾度となく彼女が夢の中に現れるようになりました。彼はまた無性に彼女のことが気にかかってきました。
 彼は独力で彼女の消息を探し始めました。昔、自分達が暮らした近くに彼女の兄も住んでいたので、その近辺を聞き回りました。しかし、あれから二十年近くも経っていては、兄妹の消息を知る人は誰一人としていませんでした。
 「それでは」ということで、沖縄出身の人達がたくさん住んでいた大正区の方へも聞きに行きました。そこでは彼女の消息こそ分りませんでしたが、自分の知らない彼女の一面を知ることができたのでした。
 「その人を直接は知りませんけど、その苗字は沖縄では高貴な名ですよ」
 独力で彼女を探し始めた依頼人は、何人もの沖縄出身の人達からそんな話を聞きました。
 「戦後のあの苦しい時代に一緒に暮らしていましたから、食べることだけで精一杯で、彼女はそんな話を一切しませんでした。芋の蔓を食べていても彼女は前向きで明るい人でした。でもそんな話を聞くとなおさら幸せになってくれていればと思います」
彼女の調査を依頼する時、彼はそう言いました。
 彼女の手掛かりは沖縄出身ということと名前しかありませんでした。もっとも、彼女は珍しい苗字でしたので、私は時間はかかっても何とか判明してくると踏んだのでした。
 私達はまず、大阪府下の同姓をピックアップし、軒並み聞き込みに入りました。が、該当者はいませんでした。
 次に沖縄県下で当ろうとしましたが、どこを探しても依頼人の言う漢字ではその苗字がないのです。おかしいと思ったスタッフはすぐに沖縄県人会へ問い合せました。そこで得た回答は、私達にとっても、今後大いに勉強になるものだったのです。 
 「沖縄ではそういう苗字はありません。それだったら、おそらくその人の名前はこうでしょう」
沖縄県人会の人が教えてくれたこととは、依頼人が彼女の苗字を本土読みにしたため、漢字まで思い違いをしたのだろうということでした。
教えてもらったその名前で、スタッフ達はもう一度沖縄県下を当たりました。 すると、やはり彼女の親戚筋が出てきました。
「叔母は戦中からずっと大阪に住んでいました。二人の子供も立派になって、2年前に叔父が亡くなってからは長男の家におります」 そう教えてくれたのは彼女の甥御さんでした。その住所を聞いて、私達は驚きました。依頼人の住居と5キロも離れていない、目と鼻の先の地域だったのです。 もちろん、依頼人は大層喜んでくれました。
「そうですか。彼女のご主人は亡くなられているのですか。私も先年、妻を亡くしています。つれあいに先立たれた年寄り同士、きっと懐かしい昔話ができるでしょう」
最後にそう言って、彼は帰っていったのでした。

<終>

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