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戦後に再会できた方と(2) | 秘密のあっ子ちゃん(98)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。 

 「生きていたのね!」
 彼女は思わず彼に駆け寄りました。
 「いやぁ、恥ずかしながら…」
 彼は頭をかきながら、にっこり笑って、彼女にそう答えました。
 依頼人は彼の元気な姿を見て、目頭が熱くなったのでした。
今にも泣き出しそうな彼女の顔を見て、彼は「すまん」とポツンと言ったのでした。 「よぉ、よぉ、お二人さん!」
 当時の二人の仲を知っている同僚達はそう囃し立てながらも、ゆっくり話せる場所へ二人を導いてくれたのでした。
 縁側に座ると、彼はこう切り出しました。
 「復員したのは昭和二十三年だった。三年間、捕虜として拘束されていたんだ。復員してすぐに君の家に行ったが、跡形もなかったよ。上司の家に挨拶に行くと、君は諏訪にいると聞いたが、富山の実家でいろいろあってね、すぐにでも連絡しようと思っていたが、できずにいたんだ。そうこうしているうちに、君は結婚したと聞いたよ」
 「どうしてもっと早く連絡してくれなかったの?!」 彼女はなじるように言いました。
 「すまん…。君が結婚したと聞いた時、もう僕から連絡しない方がいいと思ったんだ」
 彼にそう言われると、依頼人はもう彼をなじる気持ちにはなれませんでした。 そもそも、彼に対する怒りは、彼が生きているのか戦死してしまったのかという、その安否が分からないという心配から出ていたものです。結婚して十二年、優しい夫と三人の子供達に囲まれ、それなりに幸せな生活を過ごしている彼女にとって、彼と結ばれ得なかったという悔いはもう殆どありませんでした。あの時代、自分よりもっと悲惨な別離を経験した人が身の回りにも数多くいたのですから…。彼女が思わず彼をなじったのは、諦めきった頃にひょっこりと元気な姿を見せたことに対して、「生きていたなら、何故もっと早く無事だということを知らせてくれなかったのか」という想いからでした。
 それに、「君が結婚したと聞いて、僕の方からは連絡しない方がいいと思った」という彼の心配りは痛いほど有難かったのです。
 彼女が流した涙は、彼が無事で生きていたことに対する、ただただ安堵の気持ちだったのでした。
 十五年ぶりの「同窓会」がいよいよ始まりました。同僚達の中で三人が戦死していましたが、彼を含めて消息が分からない人は誰一人いませんでした。二名を除く全員がこの同窓会に参加していました。あの顔、この顔、みんな懐かしい人達ばかりです。
 苦労を共にした戦時中の昔話もひとしきり話し終わると、今後はそれぞれの近況報告となりました。
 彼は復員して三年後、知人の勧めである卸売問屋の娘と結婚しました。妻が一人娘であったため、彼は婿養子として入ったということでした。
 「今はその卸問屋を義父から引き継ぎ、会社組織にしてがんばっています」
 彼はみんなにそう言いました。依頼人はその時に彼の名刺をもらっています。 昭和三十五年の、この「同窓会」以降、それぞれ、しばらくは年賀状のやりとりをしていましたが、依頼人が何度か引っ越しを繰り返しているうちに、みんなからの音信も途絶えがちになっていきました。彼からもらった名刺もいつかの引っ越しの折に紛失してしまいました。
 その後、彼女は三十年近く、彼とは再び連絡が取れなくなってしまたのです。
 依頼人はいつも気がかりとして頭の隅に残っていましたが、その連絡を取る手段を探る暇もなく、ついついこの年になってしまっていました。彼がまだ健在なのか否かも定かではなく、元気で暮らしているのかどうかということだけが知りたいと思っていました。   彼女は彼の名刺を紛失したものの、その住所は大阪市東住吉区だったということだけは記憶していました。それで、余程自分自身で尋ね歩こうかとも思ったのでしたが、近頃めっきり足腰が弱ってきたため、それはいささか苦痛でした。
 そんな矢先、当社のことをある婦人雑誌で目にし、早速依頼してきたということだったのです。
 私達はまず、東住吉区の彼が婿養子に入ったという姓のお宅へ軒並みに聞き込みに入りました。しかし、残念ながら該当者はありませんでした。
 そこで、彼が経営していたという卸問屋の業界を当たりましたが、ここも彼を知る人は誰もいなかったのです。
 次いで、私達は彼の出身地である富山県で、彼の実家や親戚筋がないかも当たりましたが、これも徒労に終わってしまったのでした。 調査は難航していました。
 私達は大阪府のみならず、全国の彼と同姓同名の人をピックアップして、一人一人確認していく作業を始めました。
 結婚後の姓で同姓同名の人は全て人違いだったのですが、彼の旧姓で同じ名前の人が西宮市に一人いました。
 「どうもこの人がクサイ」と、連絡を取ってみると、やはり大当たりでした。
 そこは彼が以前経営していた会社で、従業員は彼のことをよく知っていました。 「この会社は十五年程前にあの人が起こされたのですが、今は前の奥さんの親戚の人が経営者になっています」
 応対に出てくれた男性の従業員は、その会社と彼の関係をそう説明してくれました。
 「で、今はどうされているのですか?」
 スタッフに尋ねました。 しかし、その返答はがっかりするものでした。
 何とか彼に繋がる人とコンタクトを取ることはできたものの、その消息についてはがっかりするものでした。
 「前の社長? 前の社長はもう亡くなりましたよ。一年前に肝臓病でね。会社の方はとっくに引退されていて、前の奥さんの親戚の人に譲られたんです」
 彼が起こしたという会社の従業員はそう教えてくれました。彼は既に死亡されていたのでした。
 「彼が亡くなられた正確な日とか墓所とかを詳しくご存じの方はいらっしゃいませんでしょうか? 」
 スタッフはせめてお墓のある場所を依頼人に伝えたいと思い、こう尋ねました。ところが、その男性の反応は急に鈍くなってしまったのです。
 「う~ん。それは奥さんなら分かると思いますけど、ちょっとねぇ…」
 「そうですか。では、彼は亡くなられる前はどこにお住まいだったのですか?」 スタッフはこんな風に水を向けてみました。
 「いや、ここの敷地内ですよ。再婚してからも後妻さんとここで一緒に住まれてました。前妻さんと娘さんの方は母屋に住んでおられててね」
 彼は亡くなる前まで前妻と後妻とを同じ敷地内に住まわせていたというのです。スタッフは驚いてしまいました。
 「そのことで色々あったみたいで、前妻さんはまだここに住んでおられますが、前の社長のことは言いたがらんと思いますよ」
 従業員のその男性はそう教えてくれました。
 「それでは、後妻さんは今、どうされているんですか? 」
 「前の社長が亡くなられてからすぐにここを出ていかれましたねぇ」
 「何とか後妻さんにお尋ねする方法はないでしょうか? 」
 スタッフはここぞとばかり必死で頼み込みました。 「そうですねぇ…。前妻さんの耳に入ったら、またややこしくなりますからねぇ…。じゃあ、私が後妻さんに連絡を取ってみましょう」 結局、その人が骨を折ってくれることになりました。 翌日、後妻さんの方から当社に連絡が入り、彼の死亡年月日やお墓の所在地は知ることはできたのでした。が、後妻さんに聞く訳にもいかず、彼が何故、同じ敷地内に前妻さんと後妻さんを住まわせていたのかは不明のままとなりました。
 しかし、依頼人は「よくお墓まで割り出してくれた」と大層喜んでくれ、私達はホッとしたものでした。

<終>

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