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思いもよらない悲報が…(4)| 秘密のあっ子ちゃん(157)

 これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

二十年前、紡績工場で同僚だった彼女を探してほしいという今回の依頼には、さすがの私たちもずいぶん苦労しました。 なにしろ、手掛かりがあまりにも少ない。
しかし、思い出の人を探し当てるのが任務の私たちにとって、『手掛かりが少ないからしんどい』などと 弱音を吐いていられる訳も ない。その少ない情報から 何とか糸口をつかむため早速、聞き込みを開始したのです。
まず、泉州の紡績工場。
この工場は当時と同じ場所で今も操業していました。
対応してくれた人事課の人は、一生懸命古い書類を探してくれました。しかし、残念なことに二十年も前の書類は既に廃棄されていたのです。
従業員も当時とはほとんど入れ替わっており、この親切な人事課のおっちゃんが聞き回ってくれたのですが、彼女のことを知っている人は誰一人いませんでした。
次に私たちは寮の方へ回りました。
まっすぐ寮長さんを訪ねていくと、なんとこの寮長さんは彼女のことをよく覚えていました。
かれこれ三十年近くその寮を管理しているおじいさんで、彼女の名前を出すと、「ああ、あの子ネ。覚えてますヨ」と言ってくれたのです。
思わず『ラッキー!』と思ったのですが、そのあとが悪い。
「今、どうしてるんでしょうネ。あなたたち 知りませんか?」と。
『それは、こっちが聞きたいことや』と思いながら彼の話を聞くと、彼女が退職してのち二、三度年賀状は来たが、それ以来何の連絡もないとのこと。
やむなく、翌日私たちは夜間高校へ行きました。
事務職の人が名簿を繰ってくれたのですが、彼女の連絡先は依頼人が知っている九州の実家の住所のままだったのです。移転届は出されていませんでした。
『あとは九州に行ってみるしかないなあ。だけど、依頼人が行った十五年前でさえ、近所の話では立ち退き先は知らないということだったなあ』
私は迷っていました。スタッフが九州へ行って聞き込みに入るのは訳ないことです。しかし、可能性の低い聞き込みのためにだけに九州まで行くことは、依頼人に交通費の負担が大きすぎる。
思案しているところに依頼人から電話が入りました。
既に泉州の聞き込みを終えた時点で、彼には状況説明と「難航しそうだから、手掛かりになりそうなことを何でもいいから思い出してくれ」と伝えてあったのです。
彼は「自分と同い年の彼女の兄さんの名前を思い出した」と言ってきました。
『よし!こっちの方が先や』とばかり、私たちは全国の電話帳で彼女のお兄さんと同姓同名の人を片っ端から当たり始めました。
まずは九州から、そして中国地方というように・・・。
そして広島までたどりついた時、ついに彼女のお兄さんを探し当てたのです。

<続>