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両親の墓はどこに・・・(2)| 秘密のあっ子ちゃん(198)

 これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

大使館の秘書官だった父と赴任先についていった母 が、共にマラリアで死亡したのは依頼人が五歳の時、 昭和五年のことでした。
依頼人と二つ年下の弟は母方の伯母に引き取られ、 二人はそこで育ったのだそうです。
彼らは両親のお骨について『そのころに父の弟が、 先祖代々の墓に納めると言って持ち帰った』と伯母か ら聞かされていました。
その後、彼ら兄弟は、香川県にあるご両親の墓参り に連れていってもらったこともなく、また父方のその叔父の香川の家にも行ったことがなかったと言いま す。
叔父さんに会ったのは、彼が東京へ出てきたときの 三度だけ。
二人は子どもだったこともあって、両親の墓のことなど気にも止めていなかったそうで、伯母や叔父が生きている間にそのことについてはそれ以上なにも聞かなかったと言います。
やがて戦争が始まり、伯母は空襲で死亡し、叔父も 戦死してしまいました。
戦後、自分たちの子どもが生まれるようになって、 兄弟は急に『自分たちにはお参りすべき墓がない』と いうことが気になり始めたのだそうです。
その時には、叔父も、育ててくれた伯母さえ戦争で 死亡し、すでに訪ねる人は誰一人いません。
二人は四十歳代のころ、先祖や、そして何よりも両 親がまつってある墓はどこなのか、ということを調べ 始めたのだそうです。
香川県の叔父の家は息子さんが跡を継いでいました。 初めて対面したいとこは、「自分が生まれる以前のことだし、あなたたちの両親の墓のことは今まで聞いたこともないです」と答えたと言います。
二人は過去帳を見せてもらいました。しかし、そこ にあるのは戒名だけ。俗名は書かれておらず、どれが 両親なのか、さらには両親が記載されているのかどう かさえも分かりません。
彼らはその足で寺にも行きました。
その寺でも代がかわっており、応対に出た若い住職 さんの話は要領を得なかったそうです。
彼らは“昭和五年没”を手がかりに墓碑を見て回り ましたが、両親の戒名を見つけ出すことは、ついにで きなかったのです。
二人が正月に会うたびに両親の墓の話題は何回も出 ました。しかし、何しろ働きざかりの世代。仕事の忙 しさに追われ、それ以降ゆっくり探すことはできなか ったそうです。
兄弟は、「定年になったらもう一度しっかり探そう か」「それでも見つからな かったら新しい墓を作ろ う」と約束していたのです。
それから二十年以上がすぎました。
退職した二人は「元気なうちに、そろそろ本格的に 探そう」と腰を上げかけていた矢先、当社のことを知 ったのだそうです。
私たちは二十年前、兄弟が歩いた跡をもう一度調べ 直しました。
彼らのいとこは、やはり二人の親の墓のことについては全く聞いていません。
寺にも行ってみました。
住職さんが過去帳を繰ってみてくれましたが、それらしい名前は見当たりません。
「過去帳に載っていたとしても当寺に納骨されてい るとは限りません。まして、載っていないのであれば納骨されている可能性は薄いと思います」
若い住職さんはこう話さ れました。
じゃあ、二人の両親のお骨はどこに持っていかれたのか?
私たちは悩みました。
『しかし、いくらなんでも、何の縁もゆかりもない 所に納める訳がない』
私たちは、「叔父さんが持って帰った」と言う限り、必ずこの近辺にあるに違いないと踏んだのでした。

<続>

両親の墓はどこに・・・(1)| 秘密のあっ子ちゃん(197)

 これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

聞くところによると、今でも寺や墓地には無縁仏がたくさんあり市町村によっては、その子孫を探しているところもあるということです。
そうした子孫の所在調査を行っている市町村管理の墓地では、調査してもその所在が分からない場合、墓碑に札をかけ、子孫たちが申し出てくるのを待っていると言います。
しかし、期限までに子孫が申し出てこない時は、整理の対象になるのだそうで す。
また、寺の方はというと連絡が取れなくなった檀家で、何十年もお参りに来られていない墓は、「無縁仏」として一つにまとめるのだということを、以前からよく耳にします。 逆に、先祖の墓を探しておられる子孫たちも大勢いらっしゃいます。
なおかつ、「気に掛かってはいるが、探す手だてが分からないので、そのままになっている」という人たちはそれ以上いらっしゃるとい うことなので す。
そこで今回は、間もなく除夜の鐘を聞きながら正月を迎え、先祖の供養を行うという新しい年を前に、 一年の締めくくりとして、『お墓』や『先祖』ということに関係したお話をしたいと思います。

当社には、人物ではなく「お墓を探してくれ」という依頼までたまに入って来ます。
その多くは、「お世話になった方だが、すでに死亡されたと聞いた。お墓参りがしたいので、そのお墓を探してほしい」というのがほとんどです。
ところがここ最近では、「先祖の墓を探してほしい」という身内の依頼も増えてきているのです。
こうしたケースで最初に受けたのは、三年前のことでした。
依頼人は六十七歳の男性で、「両親の墓がどこにあるのか分からない」ということでした。
私は先祖ならまだしも、両親の墓が分からないというのは、ちょっと奇異な感じがしました。しかし、話に聞くと、それは止むを得ないことだったのです。
依頼人の父親は香川県出身で、外務省に勤務していました。
結婚し、長男である依頼人が生まれたころ は、秘書官として東南アジアのある国の大使館に赴任していたそうです。
ところが、依頼人が五歳だった昭和五年、父親はマラリアにかかり、看病で付き添っていた 母も感染し、両親が相次いで亡くなったのだと言います。

<続>

「女王様」を探して(4)| 秘密のあっ子ちゃん(196)

 これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

いつになくきっぱりと要求した依頼人(27歳)に、私は こう答えました。
「それでは、やはり尾行するしかないですねぇ。店が引ける時刻を見計って張り込むことにしましょう」
彼は安堵の表情を浮かべました。ここまで思い詰めているなら、私としてもとことん彼につきあうつもりでした。
「で、彼女の写真かなにかはありませんか?」
「写真?写真というのはないです」
「そうですか。顔の確認ができないと、つけにくいですねぇ。何かいい方法はないかなぁ」
私には、その「いい方法」というのは何なのかは分かっているのです。が、それを尾行班にさせるのは少し可哀想だと思ったので、思わずそうした言葉が口から出たのでした。
その方法とは、尾行班の誰かが客になって店に入り、彼女の顔を確認するというものでした。しかし、普通の飲み屋ならいざ知らず、彼女の勤める店はSMクラブで、ましてやM専科です。尾行班がムチでシバかれたり、ろうそくを垂らされたりするのは、私 の立場としてはいささか問題が残ります。
その危惧を私が言うと、彼は自信を持ってこう答えたのです。
「時間はワンコース六十分ですが、別にプレーをしなくても大丈夫です。話をするだけでもいいですから」
それならばと、私はその方策を取ることに決めました。
当社の尾行班は二十四歳から三十二歳までの若い男性で構成していますが、今日はその中から四人が出ることになりました。
店に誰が入るのかという決定は彼らに任せましたが、私は誰に決まるかはだいたい予想がついていました。後に報 告を聞くと、彼らは「多数決で決めた」と言っていたのですが、決まったのは尾行班の中では一番若い二十四歳の、新婚ほやほやのメンバーに決まりました。「多数決」とは言っても、最初から結論は出ていたようです。
そのメンバーは「嫌ですよ。嫁はんに怒られるし、また忘年会のネタにされますやん」と拒否したらしいですが、決まった限りはもう否も応もありません。渋々ながら彼女を指名して入っていきました。
ところが、部屋に入るなり、いきなり彼はロープで縛られ、「あ」も 「う」もなくムチでシバかれ、ロウソクを垂らされてしまったのです。
「痛い!痛い!」と彼が叫ぶと、彼女はこう言ったそうです。 「『痛い』じゃないで しょ。『女王様、許し て』でしょ!」
彼は口実を作って、何とかその後の「責め」は逃れたとのことでしたが、店から出てきた彼の報告を聞いて、他の尾行班は涙を流して笑ったものでした。もちろん、事務所で待機して連絡を待っていた私も、彼が可哀想と思いつつも笑ってしまいました。
とにもかくにも、こうした彼の「捨て身」の努力によって、彼女の顔を 確認することができた尾行班は、彼女を追尾して、何なく住居を突き止めることができたのでした。
しかし、そこから、またまた意外な事実が出てきたのです。
彼女は人妻でした。彼女の住居はごく一般的な新興住宅の中に建つ、かなり立派な一戸建ての家でした。築二、三年の家屋で、居住年数も そのくらいであるという近隣の話から、おそらく 女は結婚と同時に入居したも のと思われました。子供はまだいません。
その報告を聞いて、依頼人は絶句しました。
この時初めて依頼人が語ったことなのですが、彼は彼女にかなり貢いで いたようです。「貧しい中で、病気の父を抱えている」という彼女の言葉 を信じて。
彼はいつになく声を荒げてこう言いました。
「給料の半分くらいは彼女にいれあげていました。この前もお父さんの 手術代がないというので、銀行からの借り入れを申し込んだばかりなのです!」
ひとしきり恨みごとを言ったあと、帰り際に彼はいつものか弱い声に戻 って、ポツンとこう言いました。
「いい勉強になりまし た。もう二度と店へは 行きません」
彼もやっと彼女の呪縛から解き放たれたのでした。

<終>

「女王様」を探して(3)| 秘密のあっ子ちゃん(195)

 これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

 彼女が住んでいるという一帯の聞き込みで、彼女に該当する人物があらわれない ことから、私達はツテを頼り、彼女が勤務していたSMクラブのオーナーに接触しました。
「彼女はよく働いてくれましたけど、突然退めてしまいましてねぇ・・・。
本名?聞いていますけど、たぶんうそでしょう。この業界で、ありのままのことを言う子は少ないですからねぇ」
その女性経営者が聞いていた「本名」は依頼人が聞いていた名と同じでした。彼女はオーナーにも「住居は今里だ」と話していたと言います。
それまでの調査経過の報告やオーナーの話を聞いて、依頼人はますます彼女の話を信じたようでした。しかし、私達は逆にますます彼女が本当のことを言っていないと確信を深めました。
「今里で該当者がないのなら、布施辺りまで探してもらえませんか」
彼はそう言ってきました。私はよほど「無駄です」と言いたかったのですが、依頼人が望むなら 致し方ありません。これで彼が彼女のうそに気づいてくれることを願いながら、私達はまたもや今里から布施にかけて、こまめに聞き込みに入ったのでし た。
しかし、私の予想どおり、結果は彼女に該当する人物が住んでいる形跡は全くありませんでした。
報告を聞いて、彼はこう言いました。  「そうですか・・・。でも、どうしても彼女のことが忘れられないんです。今は仕事も手につかない状態です」
またまた消え入りそうな声でした。
「何を言ってるの。しっかりしなきゃ!」と言ったものの、私は彼の気持ちが分からないでもありません。
「調査範囲を広げてもらって、お手数をかけているのは十分承知してい ますが、何とか探し出す手立てはないでしょうか?」
彼は必死の様相でした。
「うーん。他にと言えば、例のブルセラショップに張り込んで尾行するしかありませんねぇ」
「やはり、それしかありませんか?・・・そしたら、もう一度、僕がもうその店へ行って、前回彼女がいつごろ来たのかを聞いてきます。その方が次に彼女が来る日が予想 しやすいですから」
彼はそう言って、この日は帰っていったのでした。
しばらくは何の音沙汰もありませんでした。
私は「また気が変わったんだろう」とぐらいに思い、あまり気にもかけていませんでした。
二週間程経ったある日、彼から電話が入りました。相変わらず聞き取りにくい弱々しい声でした。
「あの・・・店に聞きに行ったんですけど、彼女は最近来ていないと言われたんです。最後に来た時に、下着を売るのはもうやめると店の人に言ったらしいです・・・。ど うしましょう。何とかなりませんか?」
彼は泣きつかんばかりでした。
「どうしましょう」と言われても、これではどうしようもありません。今さらそんなことを言うのなら、私が提案した時にさっさと尾行しておけばこんなことにならずに済んだものをと、少し腹立だしくも思えました。
「どうしようもありませんねぇ。いつ現れるか分からない張り込みは、料金も大変になりますから、無理でしょう」
私はいつになく冷たく言い放ちました。
私が断ってから、依頼人からは音沙汰がありませんでした。私は「諦めたんだな」と思っていました。「忘れることができ るのなら、彼にとってもいいことだ」とも思いました。
それから一年半が経ったつい先日、一本の留守番電話が入っていました。彼でした。
「去年の始め頃、SMクラブの女性の調査依頼をした者ですが、覚えてくれてはりますでしょうか?また相談したいことがあります ので、明日もう一度電話します」
翌日、彼は電話ではなく、直接事務所へやってきました。
相変わらず蚊の鳴くような弱々しい声でしたが、それでも勢い込んでこう言いました。
「つい最近、彼女が店へ戻ってきたんです。今度こそ彼女の住所を突き止めたいんです!」
「店に戻られたら、もういいんじゃないですか?そこで連絡はつくんですから」。私はそう言いました。
「いえ、またいつやめるかもしれませんし、今度こんな苦しい思いをするのは嫌ですから」
彼はいつになくきっぱりと答えたのでした。

<続>