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看板娘と看板描きの青年(2) | 秘密のあっ子ちゃん(88)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

 こうして、私達は三十五年前に夜逃げをするかのように姿を消した彼の調査を開始したのでした。依頼人の記憶で、今、調査材料となり得るのは、彼の職業と微かな実家についての手掛かりだけでした。
 私達は、まず彼の職業であった映画館の看板書きについて調べ始めました。  ところが、彼については誰も知る者はなく、彼の影さえも把めなかったのです。
 当時の彼の住居が大阪市内だということから、大阪市内三十五軒、府下四十四軒、そして依頼人の神戸の南京街の店へちょくちょく出入れしていたことを考慮して、神戸市内六十一軒の看板屋さんを軒並みに当たったのです。
 しかし、現在はもちろんのこと、過去においても彼に該当する人はいませんでした。
 そこでやむなく、私達は「彼の実家が昔、大阪市内で駄菓子屋さんをしていた」というわずかな手掛かりを頼りに、彼の姓で以前駄菓子屋さんをしていた家を探し始めました。
 十軒、二十軒、三十軒…八十四軒目、ついに彼の兄嫁という人に辿りつくことができました。
 「まぁ、懐かしい名前を聞くものです。私どもも義弟がどうしているのか全く分らないんです。もともと、昭和二十七年と昭和二十九年に両親が亡くなってからはあまりここ(実家)にも寄りつかなくなりましたが、三十六年ごろでしょうか?それ以来ぷっつりと姿を現わさなくなりましてねぇ。その後は全く連絡もないんですよ。一度女の人を連れて一緒に帰ってきましたねぇ。何でも、家を売ってきたとか言っていました。しばらくこちらにおりましたが、窮屈になったのか、黙って出て行ったきりです。女の人?ああ、その人は一晩だけ泊って出ていかれました。彼女とかというようなそんな深い仲ではなかったようですね。」
 兄嫁は三十何年かぶりに彼の話ができることが嬉しいようで、私達に懐かしそうにいろいろと彼のことを教えてくれたのでした。
 「主人はもう二十年以上も前に亡くなりましたが、死ぬ前まで義弟のことを気にしていました。彼は末っ子で、主人は七人兄弟の中で一番可愛がっておりましたからねぇ…。彼もまた私達の息子をよく可愛がってくれました。それが、主人が死んだことも知らず、本当にどうしているんでしょうねぇ…」
 そう言いながら、彼女は目頭を押さえました。
 聞き込みにいったスタッフは、この兄嫁を慰める言葉もなく、ただ相槌を打って彼女の話を聞いていたのでした。
 「住民票とか戸籍の方はどうなっているのですか?」
 「えっ?!住民票!まぁそんなことは一つも気がつきませんでした。今まで一度も彼の住民票や戸籍がどうなっているのかなど調べたことはありませんでした。彼をお探しの方がどんな方かは存じませんけれど、今日、あなたがこうしてお見え下さったのは何かの縁でしょう。彼のことを最後まで気にしていた主人のためにも、私も自分が元気なうちに彼がどうしているのか知りたいですし、早速、役所へ行ってきます。何か分れば、あなたにもご連絡を差し上げましょう」
 彼女はスタッフにそう丁重に申し入れてくれたのでした。もう七十才にはなろうかと思われる彼女は、柔和な顔立ちに白髪がとても上品な印象を受けました。 三日後、彼女は「役所に行ってきた」と律義にも連絡をくれました。ただ、「いくら役所の人の説明を聞いても見方が分らない」と言うのです。
 スタッフは取るものは取らず、再び彼女の家へ向いました。彼女は待ち構えていたように役所から取ってきた彼の住民票を見せました。
 そこには、昭和四十五年に「職権消除とする」と記載されてあり、彼の欄には大きくバツ印がつけてありました。そして、昭和四十五年以降は全く空白となっていたのです。
 「この『職権消除』という意味を役所の人に何度聞いても分らないのです」
 彼女はそうスタッフに言いました。
 そもそも職権消除というのは、蒸発したり、行方不明になったり、あるいは本人が長年に亙り意識的に役所へ住所移動を届けなかった場合に取られる処置で、住民票などその人物の籍が空白になる状態を指し、公的にも「行方不明」と認知されたことを意味します。この籍がなくなった状態を回復するには、本人自身が「私はまだ生きており、今どこどこに住んでいますから、籍を回復して下さい」と申告する以外に方法がありません。
 そうした内容をスタッフが兄嫁に説明すると、彼女は、「まぁ!公にも彼は『行方不明』ということになっているのですね?」と唸ったのでした。
 彼の兄嫁は、住民票に記載されてある「職権消除」という意味を知ってがっくりしていました。
 「それでは、義弟は役所でも『行方不明』ということになっているのですね?」 がっかりしたのは兄嫁だけではありません。スタッフにしてもそうでした。彼女が役所に出向き、わざわざ彼の住民票や戸籍を申請してくれたのにもかかわらず、彼を探す手掛かりはこれで何もなくなってしまったからです。どう考えても、もう他に方法はありませんでした。
 「やはり、本人から連絡がない限り、今どうしているのかは分らないんですねぇ。お宅様もいろいろ手を尽くして下さったのに、諦めざるを得ないんですねぇ…」 彼女は溜め息まじりにそうスタッフに言いました。 スタッフは、依頼人もさぞかし落胆するだろうとつらい気持ちを抱えて帰ってきました。
私達の説明を聞いて、案の定依頼人は落胆の色を隠しきれませんでした。ただ、「これだけ探してもらったのに、本人がまだ意識的に隠れている状況でしたら、いたしかたがありません」と言ってくれたことが、唯一の救いでした。
 いろいろ手を尽くしてみても、本人が何十年にも亙って意識的に身を隠していることにより、結局、彼は見つけ出すことができませんでした。
 
今回のケースは、昔彼を知っていた依頼人が再会したいという想いで彼を探し、たまたま、三十五年に亙って「行方不明」になっていたことが分った訳ですが、身内の人からはもっと切実な想いで行方不明になっている家族を探してほしいという依頼が多々あります。
 判明するかしないかは当然それぞれのケースにどれだけの手掛かりがあるのかによって異なりますが、概して調査が「家出した」「蒸発した」という時期から早ければ早い程、判明率は高まります。
 ですから、ご家族の方の誰かがそういう状況になれば、五年も十年もましてや何十年も放っておくのではなく、一刻も早く探してあげるべきだと思います。蒸発して一年も経てば、当人は何らかの連絡をすべきだと感じるものなのです。しかし、きっかけがないとなかなか連絡はできません。その「きっかけ」を家族の人が作ってあげる必要があると思うのです。
 そして、今、これをお読みの蒸発されている方へ、是非ともご連絡を差し上げて下さい。ご家族の方が大変ご心配されていますので。

<終>

看板娘と看板描きの青年(1) | 秘密のあっ子ちゃん(87)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

 レストランの雇われ店長がお客さんであった女性を探すお話は以前にさせていただいたことがありますが、つい最近も食物商売をしていた人が店のお客さんを探してほしいという依頼がありました。
今回の依頼人は前回のレストランの店長とは異なり、女性です。しかも三十年以上も前のことです。
現在五十八才の彼女は、国籍は中国ですが、両親に連れられて幼い頃に日本にやって来て、それ以降ずっと日本で暮らしています。両親は神戸の南京街で中華料理店を営んでいました。 彼女は成長すると両親の店を手伝うようになり、今回探してほしいという人と出会ったのでした。彼はその店へよくやってきたお客さんの人でした。もう三十五年も前の話で、彼女が二十二、三、彼が二十七、八才の頃の話です。
ある日、仕事で神戸にやってきた彼がたまたま彼女の店へ入ってきたのです。その日、彼は中華料理など食べる気はまるでありませんでしたが、隣のうどん屋さんが混んでいたため、やむなく彼女の店へ入ってきたという訳です。
こうして二人は全くの偶然から出会ったのです。今にして思えば彼女はこれを単なる「偶然」とどうしても思えないのです。
彼は映画の看板を描く仕事をしていました。住居は大阪でしたが、その時々にいろいろな場所の映画館の仕事をしていましたので、各地を渡り歩いていました。初めてやってきたその日は、南京街近くの映画館の仕事をしていたのでした。
彼女はというと、その頃はぽっちゃりと愛くるしく、何よりも愛想がいいので、文字通りの看板娘でした。 その愛想のよさを気に入ってくれたのか、彼はその後頻繁に店へやってきました。神戸以外の町の映画館の仕事をしている時もわざわざ出掛けてきてくれたのです。 そんなことが彼女にも分かってくると、二人はごく自然に親しくなっていきました。
彼の趣味は仕事柄か、映画を観ることでした。彼女は彼に連れられて沢山の映画を観たのでした。もちろん、彼は映画については驚く程詳しく、淀川長治氏ばりの映画評論を彼女は感嘆しながら聞き入ったものでした。
彼は背が高く、がっちりとした体躯で、どちらかと言えば無口な方でした。映画館の看板を描かせれば、その腕は大したもので、芸術的なセンスは並々ならぬものを持っているようでした。
「美大へ行くような金はないし、画家になっても食うていけないしな」
ある日、ふとそんなことを漏らしたこともありました。
昭和三十年代当時、まだまだ豊かではなかったあの頃、彼が話してくれるハリウッドの話や、アラン・ドロンやイングリット・バーグマンなどの世界の大スター達の秘話は、まるで彼女を夢の世界へ連れていってくれるようで、うっとりと聞き入ったものでした。彼女は彼の知識の豊富さもまた尊敬していました。
 彼女は彼が店へやって来てくれるのをいつも心待ちにするようになりました。ところが、ぷっつりと彼は姿を見せなくなってしまったのでした。 
 初めは「遠方での仕事が入って、来れないのだろう」とぐらいしか思っていませんでした。それが一ケ月経っても二ケ月経っても、彼は現われませんでした。
 三ケ月が過ぎた頃、耐え切れなくなって、彼女は一度小耳にはさんだことのある彼の住所の記憶を頼りに、大阪へ探しに行ってみました。運よく記憶は確かで、彼が住んでいた場所はすぐに見つけ出すことができました。しかし、彼は三ケ月前に引っ越していたのです。 彼女は近所の人にあれこれと聞いてみましたが、彼の行方を知る人は誰もいませんでした。
 「いやぁ、私らも知らんうちに突然越されたから、どこに行かはったかは知らんわ。わりと心安いつきあいをさせてもろてたのに、挨拶一つもなかったよ。夜逃げとまでは言わへんけど、なんか急なことやってみたいやねぇ」
隣の奥さんですら、こんな調子でした。
依頼人は彼の身の上についてはほとんど聞いていませんでした。知っていることと言えば、彼の年齢と職業、引っ越す前の住所、そして実家が大阪市内で駄菓子屋をしていたこと、兄と妹がいて、兄の息子を可愛いがっていたということぐらいだけでした。彼の職業が映画の看板を描く仕事だということを知ってはいたものの、その仕事は映画館から直接入ってくるものか、それともどこかの事務所に所属していてそこから指示されていたのかさえも、彼女は知りませんでした。 隣の奥さんの話から、彼の身の上に何か突発的なことが起こったのではないかということは想像されましたが、それ以上彼の行方を探す手立てもなく、彼女はただ心配しているだけでした。
「向こうにその気があれば、ほとぼりが冷めた頃にまたひょっこり顔を出すよ。」
母はそう言って、彼女を慰めました。
しかし、父はこう言うのです。
「どのみち結婚できる相手ではないからな。日本人との結婚は許さんから、それだけは覚えといてくれ」 父は同胞の中国人と結婚させるのだと決めつけていました。
「ほとぼりが冷めたら、いつか連絡がある」
 「必ず顔を出してくれる」 そう信じて待っていた彼女でした。
しかし、三年の月日が経っても、彼からの連絡は何一つ入りませんでした。
「あてのならん男など、もういい加減に待ってんと、早く結婚しろ」
 二十六才になった彼女に父はそう急かせました。
その年の暮、彼女は父の勧めるまま、在日華僑の青年と結婚しました。夫は仕事熱心で、誠実で、優しく、結婚生活には何一つ不満はありませんでした。
が、結婚しても、彼女は両親の経営する南京街の中華料理店を相変わらず手伝っていました。諦めたものの、店に出ていれば、いつか彼に再会できるかもしれないという思いが彼女の心のどこかにあったのかもしれません。
店は年を追うごとに繁盛し、幾つかの支店を出すようになりました。二十年後、相次いで両親が他界した後は、店の運営は彼女が引き継いだのでした。
 三十五年が経って、依頼人は五十八才となりました。夫は五年前に癌のため五十六才の若さで他界していましたが、店は二人の息子ががんばってくれているので安心でした。最近そろそろ正式に店の運営を息子達に任せ、自分は引退して悠々自適の生活を送ってもいいなぁとも考えています。 店から身を引こうと考えるにつけて、思い出されるのは彼のことでした。元気であれば六十二才になっているはずです。
 「どうしてはるのやろ?」 彼女は古くからの友人によくそんな話をします。
 「そんなに気になるんやったら、一ぺん調べてもらたら?私、いいとこ知ってるから…」
そんな訳で、彼女はその友人を通して、彼の調査を依頼してきたのでした。

<続>

同僚だった彼のことが…(2) | 秘密のあっ子ちゃん(86)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

 当時親しかった同僚仲間のうち、今も在職しているのは彼以外にももう一人懇意にしていた女性がいました。依頼人は、余程その女性に彼の消息を尋ねようかと思いました。しかし、 記事を読む

同僚だった彼のことが…(1 ) | 秘密のあっ子ちゃん(85)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

依頼人は三十二才の女性です。彼女は独身でした。二十代後半に結婚の話もありましたが、最終局面でどうも踏ん切りがつかず、独り身を通してきました。
 彼女はその頃から気にかかっている人がいました。大学卒業後に同期で入社した同僚の男性です。 記事を読む

夫の生みの親は…(2 ) | 秘密のあっ子ちゃん(84)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

 スタッフは、依頼人のご主人の生みの母に息子さんの気持ちを伝えました。
 「息子さんはお気持ちの素直な優しい方です。お母さんがこの世に生きておられるなら、ただ一言、『生んでくれてありがとう』と言いたいとおっしゃっているんです」
 しかし、彼女は人違いであるときっぱり否定するのです。ところが、その後がいけません。 記事を読む

夫の生みの親は…(1 ) | 秘密のあっ子ちゃん(83)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

 その女性は一年半前にも電話で相談してきたことがありました。
 最初に電話が鳴ったのはもう夜も随分更けていて、その日はスタッフが全員退社し、たまたま残業していたのは私一人でした。彼女の話を聞いたのは私ですから、よく覚えています。
 彼女は二十七歳の主婦で、結婚したのは二年前のことでした。 記事を読む

シェフの思い出のお客さん(1) | 秘密のあっ子ちゃん(81)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

今回は、悲しくも敗れ去った中年男性の恋のお話をしましょう。
依頼人は三十九才の独身男性で、洋風グリルのオーナーシェフでした。 記事を読む

神戸の「おばちゃま」と震災(2) | 秘密のあっ子ちゃん(80)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

 母が亡くなり姉が嫁ぐと、依頼人(51才)が憧れの神戸の「おばちゃま」の家へ遊びに行く機会もすっかりなくなってしまいました。 記事を読む

神戸の「おばちゃま」と震災(1) | 秘密のあっ子ちゃん(79)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

 現在五十一才の依頼人は、幼い頃、母によく連れられて神戸の親類の家に遊びに出かけていました。その親戚宅というのは、妻の方が母の従姉妹に当たり、二人は小さい頃から姉妹のように仲が良かったこともあり、お互いに嫁いだ後も行き来していたのでした。 記事を読む

板前修業を支えてくれた人(2) | 秘密のあっ子ちゃん(78)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

 彼女が再婚して九州へ帰った後も、依頼人とはしばらくは手紙のやりとりをしていました。しかし、それも間が空くようになり、いつしか途絶えていきました。 それから何年かの月日が流れ、 記事を読む