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看板娘と看板描きの青年(1) | 秘密のあっ子ちゃん(87)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

 レストランの雇われ店長がお客さんであった女性を探すお話は以前にさせていただいたことがありますが、つい最近も食物商売をしていた人が店のお客さんを探してほしいという依頼がありました。
今回の依頼人は前回のレストランの店長とは異なり、女性です。しかも三十年以上も前のことです。
現在五十八才の彼女は、国籍は中国ですが、両親に連れられて幼い頃に日本にやって来て、それ以降ずっと日本で暮らしています。両親は神戸の南京街で中華料理店を営んでいました。 彼女は成長すると両親の店を手伝うようになり、今回探してほしいという人と出会ったのでした。彼はその店へよくやってきたお客さんの人でした。もう三十五年も前の話で、彼女が二十二、三、彼が二十七、八才の頃の話です。
ある日、仕事で神戸にやってきた彼がたまたま彼女の店へ入ってきたのです。その日、彼は中華料理など食べる気はまるでありませんでしたが、隣のうどん屋さんが混んでいたため、やむなく彼女の店へ入ってきたという訳です。
こうして二人は全くの偶然から出会ったのです。今にして思えば彼女はこれを単なる「偶然」とどうしても思えないのです。
彼は映画の看板を描く仕事をしていました。住居は大阪でしたが、その時々にいろいろな場所の映画館の仕事をしていましたので、各地を渡り歩いていました。初めてやってきたその日は、南京街近くの映画館の仕事をしていたのでした。
彼女はというと、その頃はぽっちゃりと愛くるしく、何よりも愛想がいいので、文字通りの看板娘でした。 その愛想のよさを気に入ってくれたのか、彼はその後頻繁に店へやってきました。神戸以外の町の映画館の仕事をしている時もわざわざ出掛けてきてくれたのです。 そんなことが彼女にも分かってくると、二人はごく自然に親しくなっていきました。
彼の趣味は仕事柄か、映画を観ることでした。彼女は彼に連れられて沢山の映画を観たのでした。もちろん、彼は映画については驚く程詳しく、淀川長治氏ばりの映画評論を彼女は感嘆しながら聞き入ったものでした。
彼は背が高く、がっちりとした体躯で、どちらかと言えば無口な方でした。映画館の看板を描かせれば、その腕は大したもので、芸術的なセンスは並々ならぬものを持っているようでした。
「美大へ行くような金はないし、画家になっても食うていけないしな」
ある日、ふとそんなことを漏らしたこともありました。
昭和三十年代当時、まだまだ豊かではなかったあの頃、彼が話してくれるハリウッドの話や、アラン・ドロンやイングリット・バーグマンなどの世界の大スター達の秘話は、まるで彼女を夢の世界へ連れていってくれるようで、うっとりと聞き入ったものでした。彼女は彼の知識の豊富さもまた尊敬していました。
 彼女は彼が店へやって来てくれるのをいつも心待ちにするようになりました。ところが、ぷっつりと彼は姿を見せなくなってしまったのでした。 
 初めは「遠方での仕事が入って、来れないのだろう」とぐらいしか思っていませんでした。それが一ケ月経っても二ケ月経っても、彼は現われませんでした。
 三ケ月が過ぎた頃、耐え切れなくなって、彼女は一度小耳にはさんだことのある彼の住所の記憶を頼りに、大阪へ探しに行ってみました。運よく記憶は確かで、彼が住んでいた場所はすぐに見つけ出すことができました。しかし、彼は三ケ月前に引っ越していたのです。 彼女は近所の人にあれこれと聞いてみましたが、彼の行方を知る人は誰もいませんでした。
 「いやぁ、私らも知らんうちに突然越されたから、どこに行かはったかは知らんわ。わりと心安いつきあいをさせてもろてたのに、挨拶一つもなかったよ。夜逃げとまでは言わへんけど、なんか急なことやってみたいやねぇ」
隣の奥さんですら、こんな調子でした。
依頼人は彼の身の上についてはほとんど聞いていませんでした。知っていることと言えば、彼の年齢と職業、引っ越す前の住所、そして実家が大阪市内で駄菓子屋をしていたこと、兄と妹がいて、兄の息子を可愛いがっていたということぐらいだけでした。彼の職業が映画の看板を描く仕事だということを知ってはいたものの、その仕事は映画館から直接入ってくるものか、それともどこかの事務所に所属していてそこから指示されていたのかさえも、彼女は知りませんでした。 隣の奥さんの話から、彼の身の上に何か突発的なことが起こったのではないかということは想像されましたが、それ以上彼の行方を探す手立てもなく、彼女はただ心配しているだけでした。
「向こうにその気があれば、ほとぼりが冷めた頃にまたひょっこり顔を出すよ。」
母はそう言って、彼女を慰めました。
しかし、父はこう言うのです。
「どのみち結婚できる相手ではないからな。日本人との結婚は許さんから、それだけは覚えといてくれ」 父は同胞の中国人と結婚させるのだと決めつけていました。
「ほとぼりが冷めたら、いつか連絡がある」
 「必ず顔を出してくれる」 そう信じて待っていた彼女でした。
しかし、三年の月日が経っても、彼からの連絡は何一つ入りませんでした。
「あてのならん男など、もういい加減に待ってんと、早く結婚しろ」
 二十六才になった彼女に父はそう急かせました。
その年の暮、彼女は父の勧めるまま、在日華僑の青年と結婚しました。夫は仕事熱心で、誠実で、優しく、結婚生活には何一つ不満はありませんでした。
が、結婚しても、彼女は両親の経営する南京街の中華料理店を相変わらず手伝っていました。諦めたものの、店に出ていれば、いつか彼に再会できるかもしれないという思いが彼女の心のどこかにあったのかもしれません。
店は年を追うごとに繁盛し、幾つかの支店を出すようになりました。二十年後、相次いで両親が他界した後は、店の運営は彼女が引き継いだのでした。
 三十五年が経って、依頼人は五十八才となりました。夫は五年前に癌のため五十六才の若さで他界していましたが、店は二人の息子ががんばってくれているので安心でした。最近そろそろ正式に店の運営を息子達に任せ、自分は引退して悠々自適の生活を送ってもいいなぁとも考えています。 店から身を引こうと考えるにつけて、思い出されるのは彼のことでした。元気であれば六十二才になっているはずです。
 「どうしてはるのやろ?」 彼女は古くからの友人によくそんな話をします。
 「そんなに気になるんやったら、一ぺん調べてもらたら?私、いいとこ知ってるから…」
そんな訳で、彼女はその友人を通して、彼の調査を依頼してきたのでした。

<続>

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