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書店員さんとお話したい(1) | 秘密のあっ子ちゃん(107)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

 人は我が事になるとドキドキ、ハラハラして、どうも勇気が出ないものだということはこの仕事を通じて常々感じていることですが、今回の主人公ほどシャイで相手のことを気づかった人は少ないでしょう。
 彼は今年五十七才。ある大手企業の中間管理職です。なかなかの紳士で、企業戦士らしく私が直接お話をしている分にはテキパキと返答され、それほどシャイであるとは見えませんでした。ところが厄介なもので、何か感情が入るとそうはいかないもののようです。
 彼は読書家でした。ジャンルも仕事がらみのビジネス書から純文学・推理小説、それに趣味の一つである歴史の難しい専門書まで多岐に亘っていました。
 彼は余暇と通勤時間には必ず本を読むことにしています。ですから、一冊の本を読み上げるのに一日か二日しかかかりません。従って、次に読む本を探すために、毎日のように本屋に顔を出すことになります。
 行きつけの書店は会社の自社ビルがテナントとして貸し出している一階の大きな本屋さんでした。
 昨年の春、毎日通うその書店で目新しい女性が働き始めました。彼女は四十才過ぎ。笑顔がとても素敵な女性でした。
 行きつけの書店で、新しく勤め始めた四十才過ぎの女性。笑顔が素晴しく、とても愛想のいい、気持ちの良い人でした。
 彼は彼女を初めて見たその日から、その接客の仕方の見事さに感服しました。「こういう部下がいたら、商談もスムーズに進むだろうな…」と思ったりもしました。
 彼女の方も、毎日のように書店に顔を出す彼のことをすぐ覚えたようです。
 彼がいつものように、その日選んだ本を買うためにレジへ行くと、彼女がそこにいました。
 「よく本を読まれるんですねぇ」
「ええ、読書が一番の趣味ですから…」
 初めての会話はこうでした。
 それからというものは、自分で目当ての本が探し切れない時や、「こういう傾向の本を読みたいが、何かいい本はないか」というような本に関する様々な相談を彼女名指しでするようになりました。
 彼女は若いころ図書館書士をしていたらしく、本についてはかなりの知識を持っていました。
 彼は、本についての話を一度ゆっくりと彼女としてみたいと思いました。
 とは言っても、それを行動に移すことはできませんでした。本について二人であれこれ話すことは、得るべきものが多く有意義であろうし、とても楽しいことだろうと想いを馳せるのですが、何故かこと彼女のことになると、彼は「極めつけのシャイな人間」になってしまうのでした。
 またたく間に一年が過ぎました。
相変わらず彼は毎日のように書店に顔を出しています。彼女をデートに誘い出すことはできないでいました。
 そんな時、当社の存在を知ったのでした。
彼は私に言いました。
 「彼女は最初の時から変わりなく、いつも優しい笑顔で私に接してくれています。一度、喫茶店かどこかでお話をしたいと思うのですが、ただそれだけのことを伝えるにも、どうしても声をかけられないのです。自分には妻子がいるし、彼女の方にも当然家庭があるだろうし…。それを考えると、お茶に誘うことでさえ彼女に迷惑をかけてしまうのではないかと憚られるのです。そんな訳で、お誘いしてもいいかどうか、一度聞いてもらえないでしょうか?」

<続>

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