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阪神大震災(2)| 秘密のあっ子ちゃん(179)

 これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

間一髪、マンション倒壊寸前に逃げ出せた叔母(47才)といとこ(高三)は、周りの情況を把握する間もなく、近所の人と声をかけあい、すぐに小学校に避難しました。既にガスが充満し、ガス臭さが鼻をついていたのです。
部屋から飛び出す時に靴だけを握りしめて出たものの、素足で逃げ出たため踵をガラスで深く切っていたことなど、何時間も経ってからでないと気づきませんでした。しかも、持ち出せた唯一の品物であるその靴はハイヒールであったため、その後の動きにあまり役立たなかったのですが・・・。
小学校に行くと、もう避難してきている人がたくさんいました。薄いパジャマ一枚で逃げてきた叔母は、顔見知りの八百屋のおっちゃんが貸してくれたジャケットを着
て、少しは寒さをしのぐことができたのです。
停電で情報が全く入ってこない中、叔母達は大阪はもっとひどいことになっていると想像していました。脳卒中で寝ている上の兄の身が気がかりでした。
公衆電話に長時間並んでやっと大阪の実家に連絡がつい た時、初めて自分達の情況が分ったのです。それは地震発生から三時間半後のことでした。
神戸から西宮にかけての阪神間の被害が甚大という報道を見てヤキモキしていた大阪市内の叔父(49才)は、芦屋の叔母(47才)から連絡が入り、高三のいとこともども無事だと分かるや、毛布とジャケットを持って自転車で飛び出しました。午前十時の段階の報道でも、阪神高速は無論のこ
と、四十三号線や二号線は到底車では移動できないことは分かっていたからです。
叔母といとこは、小学校の校庭で焚火の木材を集めながら寒さに震えていました。しかし、大阪の実家は無事で、叔父が駆けつけてくれるとなって、ひと安心していました。パジャマ一枚の薄着でも叔父が到着すれば車の中で少しは暖をとれると思っていたのです。道路情況がどうなっているかはまるで知りませんでした。従って、二時間後、芦 屋に到着した叔父の自転車姿を見て目が点になったらしいのですが・・・。
幸い、マンションの前に置いてあった叔母の自転車といとこの子供のころの古い自転車は無事でした。三人はその自転車に乗って、その日中に大阪へ避難してきたのでした。
後日、叔母は、「子供用の自転車は漕いでも漕いでも進まへんから、淀川の橋の長かったこと!」と語っていましたが、とにもかくにもこうして無事、叔母といとこはあの阪神大震災をかいぐり抜けることができたのでした。
叔母達の避難所での生活は半日で済んだ訳ですが、それでも一番困ったのは、寒さと渇きとトイレだったと言います。地震発生以来既に十日が経過した本日、余震の恐怖の中で、厳しく不自由な避難所生活をされておられる方々の苦難はいかばかりかと考えると本当に心が痛みます。大阪に避難した高三のいとこでさえ、未だに夜は恐くて眠れないと言います。
先日、私も救援のため被災地に入りましたが、その現状はテレビの映像だけでは決して分らないと感じました。
全壊や半壊した我が家の後片づけをする人々。倒壊しかけた家屋をチェックする機動隊員。救援のために大量の荷物を持って延々と歩く人々。全く動かない車両とその合間を縫うように西へ東へと急ぐバイクと自転車。その間をサイレンを鳴らして前へ進もうとする救急車や消防車。倒れた信号機の前で交通整理をする警官。その横で電柱を復旧 している何十人もの電気工事関係者。給水車に並ぶ人々・・・。そして、振り向けば、将棋倒しのように北西に倒れた商店街とほとんど落ちかけたアーケードがありました。
被災地から大阪へ戻ってきた時、私はあまりものギャップに愕然としました。それは本当に天国と地獄と言っても過言ではありません。
被災された皆さんには心から「がんばって下さい」と
言いたい想いで一杯です。
ところで、叔母に地震を知らせたあの四匹のハムスター達はどうなったのか? 五日後、私達が様子を見に行くと、なんと、二匹は どこかへ逃げたのか、姿が見えませんでしたが、あと二匹は無事保護できたのでした。

今、国会では地震対策の論議をしているようですが、この間の政府・行政側の対応には不満を持っておられる方が大勢いらっしゃることと思います。私も現場の消防団・警察官・自衛隊員・医療関係者・ボランティア・地元の方々などの奮闘に比べて、「一分早ければ一人助かる」という情況にもかかわらず、諸外国からの捜索や援助活動の申し出を断っている政府には 怒りを禁じ得ませんでした。また、被害者が苦しんでいる中で、暴利を貪ぼろうとする一部の業者には人間として悲しみさえ涌いてきます。
そうした中で、被害を受けた人々が協力し合い、助け合い、また、被災地以外の人々がいち早く救援に奔走されている、そうした人と人との心の距離が縮まっていく姿を見て、少しは救われた思いがするのです。
私は、今回の大地震は高度経済成長、バブルと日本人が人間性を失いながら突き進んできたことへの一つの警告のような気がしてなりません。しかし、それに気づくのに、五千人以上の尊い命を失なったということは、あまりにも大きな大きな犠牲で、胸が詰まる想いです。
今、私は私自身の自戒も含めて、無念に亡くなった方々の死を無駄にしないためにも、人間性-一人一人の心を大切に今後生きていかねばならないと思っています。

<終>

 

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