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満州開拓団時代に…(2)| 秘密のあっ子ちゃん(151)

 これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

「満州開拓団で一緒だった幼馴染の消息を知りたい」と依頼されてきた六十五歳の男性。

このおじさんの話によると、満州(現、中国東北部)から逃げ帰って来る途中、混乱の中で彼女の家族と離ればなれになり、それ以来彼女の消息が全く分からないということでした。戦後、世間も少し落ち着くと、彼は彼女を探し始めたそうです。「無事、日本へ戻れたのか」「元気でいるのか」「幸せに暮らしているだろうか」

そんなことが無性に気になって彼女の消息を訪ね回ったと言います。

そんな中、出身地の村に行った時、「引き揚げ時、叔母さん以外の家族は全員死亡したが彼女は無事で、叔母さんと二人で日本へ帰ってきた」という噂を耳にしました。

しかし、その村でもそれ以上のことは全く分かりません。彼女たちは、戦後一度も出身地には戻っていなかったのです。

昭和二十四年におじさんは引き揚げ者名簿を見ることができたそうです。しかし、その名簿には彼女の名前は載っていませんでした。

おじさんはがっかりしました。

「ひょっとしたら、死んでいるのかもしれない」と思うと「何とも暗い気持ちになった」と言います。それから四十五年近く、彼はことあるごとに彼女を探したらしいのですが、その消息は末だにつかめないのです。「どうしても、彼女の消息を知りたい」というこのおじさんの依頼を受けて、私達はまず、瀾州開拓団と引き揚げ船について、いろいろな国の機関に問い合わせました。

しかし、戦後四十八年も経た現在、当時の書類など全く残っていなかったり、あるいは「調査拒否」にぶつかったりして、何の手掛かりもつかむことができませんでした。

やむなく彼女の出身の村に行き、お年寄りがいらっしゃる家を一軒一軒訪ね歩きました。十日以上も村を歩き回った結果、彼女の家族を覚えているお年寄りを何名か見つけ出すことはできました。しかし、なにぶん高齢のため記憶が随分とあいまいだったのです。「万事休す!」と困り果てて、「次はどこをどう調べていこうか」と思案している時、あるお年寄りから事務所に電話が入りましこ。t それは、「戦争が始まる直前、彼女の叔父さんにあたる人が、帝国大学に入ったことを思い出した」という内容でした。「当時、この村から帝大に入った人は珍しく、それで覚えている」とそのおばあさんはわざわざ知らせてくれたのです。

そして、さらに「学徒動員で出征したようですが、無事に戻ってきているはずです。戦後すぐに私の弟が東京で偶然会ったと言っていたのを思い出しました」と、話してくれました。

「これぞ天の助け!」とばかり、私達は、早速、彼女の叔父さんの大学を当たりました。

村の古老の話でやっと糸口がつかめた満州開拓団の幼馴染の調査。

彼女の彼女の叔父さんが入学したという大学では、事情を聞くや「特例ですよ」とすぐに卒業者名簿を調べてくれました。

しかし、大学側のせっかくの好意にもかかわらず、彼の連絡先は空欄になっていたのです。私たちはがっかりしている暇もなく、健在の同級生に片っぱしから聞き込みに入りました。

そして四十三人目、ついに彼と今も往来のある人にぶつかったのでした。私たちの願いが通じたのか、彼女の叔父さんは、健在でした。

私たちははやる気持ちをえ、この叔父さんに連絡をとり、彼女の消息を尋ねました。彼女は村の噂どおり、叔母さんと二人で日本に無事引き揚げてきていました。

そして現在、五人の孫を持つおばあさんとなり、東京に在住でした。

ひと月後、依頼人から私あてに手紙が届きました。それには「四十八年ぶりに彼女と再会でき、タイムスリップしたような懐かしい時を過ごすことができました」と記してありました。その手紙を読んだ時、私は、つくづくこの仕事を選んでよかったと思ったものです。

<終>

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