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彼女の舞う姿が脳裏に・・・(2)| 秘密のあっ子ちゃん(172)

 これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

戦前、大学時代に家庭教師をしていた教え子の美しい舞い姿が脳裏に焼きつき、五十五年たった今、彼女にもう一度会いたいと願う依頼人(76才)でした。
『ずっと気にかかっていたのですが、結局、今まで会えずじまいになってしまいました。数年前、大学の同窓会で、兄の方は医者になったと噂で聞いたのです。それで、友人に全国の医者の名簿を見てもらったのですが、それらしい名前はありませんでした』
私達は、彼女の女学校の後身の高校と、実家が京都の旧家で資産家だったということから、その二つのルートから調査を行ったのでした。
ほどなく実家ルートから教え子の一人、お兄さんの方の所在が判明してきました。
お兄さんは同窓会の噂とは全く違い、医者ではなく、上級公務員となり、現在は退官されてある大手証券会社の相談役になられていました。
私達は、お兄さんに妹さんの消息を聞くべく訪ねていったのでした。
『ああ、家庭教師をして下さった方ですね。よく覚えていますよ。お元気でいらっしゃるんですか?』
ひとしきり、依頼人の話題に花が咲き、いよいよ妹さんの話となりました。
『妹ですか?・・・それが、もう随分前に亡くなったのです』
彼女は、昭和十七年、海軍の軍人と結婚しました。しかし、夫は昭和十九年に戦死し、彼女は未亡人となってしまったのです。その後、彼女は実家の方へ戻り終戦を迎えましたが、そのころから体調が思わしくなくなっていきました。そして、昭和二十一年が明けてすぐに、腹膜炎で死亡してしまったのでした。
『あの戦争を無事生き抜きましたのに、戦争が終わってすぐに亡くなったのは
残念なことです』
お兄さんはそう言いました。
『父は若いころから病気がちでしたが、八十四才まで生きました。母も父が亡くなった翌年に他界し、今年十三回忌を終えたばかりです』
そしてこう続けられたのでした。『両親も亡くなり、妹ももういず、残ったのは私だけになりましたが、私も家庭教師をしていただいた身。お陰で志望校にも入れました。五十五年も経って、本当に懐かしいです。是非ご連絡してもらって下さい』と。

<終>

 

 

 

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