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心のマドンナ(2) | 秘密のあっ子ちゃん(112)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

 彼と彼女が育った地域は材木の集積地です。私達は彼女が嫁いだ先はその近辺だと当たりをつけ、「すわ!」とばかりに材木問屋を軒並みに聞き込みに入ったのです。
 ところが、これがまた彼女が嫁いだはずの材木問屋になかなかぶち当たることができなかったのです。 何軒当たっても、彼女が嫁いだはずの材木問屋に辿りつくことができず、私達は「本当に材木問屋に嫁いだのか?」とか「この辺りで間違いないのか?」などと疑心暗鬼にかられてきていました。
 と、ある一軒の問屋さんで、「ああ、それやったら、あそこのお嫁さんかもしれん。親父さんが脳溢血で倒れてからは跡を継ぐ者もなく、今はもう商売をやめておられるけどな」という情報が入ってきました。
 早速、教えてもらった住所に向います。
 私達がその家に着いた時、家の人は皆出ておられ、おじいさん一人が留守番をされていました。病気もかなり回復されたようで、それなりに動くことができるようになっておられたのですが、記憶の方がもう一つです。
 「さて?嫁の旧姓は何でしたかいなぁ?」
これでは埒があかず、ここまで来たついでとばかり、私達は腰を据えて彼女が帰ってくるのを待ちました。
 夕方、帰宅してきた彼女に、私達は「実は…」と説明します。途端に彼女の顔がパッと明るくなり、こう答えたのでした。
 「まぁ、○○君、私のこと、よう覚えてくれてやってんねぇ!」

<終>

心のマドンナ(1) | 秘密のあっ子ちゃん(111)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

その日やってこられた人探しの調査の依頼人は、四十二、三才の真面目そうな男性でした。彼は現在、ある大手電気メーカーの技術部門を担当しています。
彼には一度再会してみたいと思っていた女性がいます。小学校、中学校を共に通った幼なじみで、ずっと憧れていた彼の“心のマドンナ”です。
社会人になってから時折思い出しては、「どうしているのだろうか?」とか「どんな風に変わったのだろうか?きっときれいになってるだろうな…」と考えてはいましたが、そこはやはり日常の忙しさに追われ、二十年近く行動に移す機会を逸してきました。人生の中で二十代、三十代というのは、仕事面においても家庭面においても一番忙しい時代です。
それに、小、中学の同級生ともなれば、たまに開かれる同窓会や、道でばったり出会った昔の仲間に彼女の消息を聞けないことはありませんでしたが、あえて彼女の名前を口に出すのも気恥ずかしく、やはりそのままになっていたのでした。彼が彼女に憧がれていたということは、誰も知らない彼だけの秘密でした。 そんな彼女をいよいよ本気で探そうと決意させたのは、やはりあの阪神大震災でした。やはりあのようなことがあると、「いつどうなるか分らない」と思うようになり、彼はやっと腰をあげる気になったのでした。
私達は彼の依頼を受けて調査を開始しました。
彼の持っていた手がかりは、彼女と共に通ったという小学校、中学校、そして彼女が進学した高校、風の噂で聞いた就職先の銀行の名前だけでした。残念ながら、実家のことはもはやうろ覚えとなっていました。 私達はまず、小学校、中学校を当たり始めました。ところが、過疎地のため、彼らの母校は既に廃校となっていたのです。
そこで、私達は次に高校へ向いました。しかし、この高校は女子校で、「プライバシーの問題があるので」と回答を得ることができませんでした。
こうなると、残りは銀行しか残っていません。
聞き込みの結果、彼女は二十一年前には確かにその銀行に勤務していることが分りました。ところが、人事部の返答は芳しくありません。何年か前に起きた山梨での女子行員の殺害事件以来、銀行のガードが大変きつくなり、この銀行のみならずこうした聞き込みにはなかなか答えてくれなくなったのです。
やむなく、私達はもう一度依頼人に連絡を取りました。うろ覚えであいまいな実家の記憶について、何か手がかりとなるものを思い出してもらうのが目的でした。
あれやこれやの話の中で、結局実家についての記憶を蘇らせることはできませんでしたが、彼がふと思い出したことがありました。  「そう言えば、材木問屋に嫁いだという話も聞いたことがあります」

<続>