このページの先頭です

納得できない離婚要求(2) | 秘密のあっ子ちゃん(135)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

依頼人(37才)は、夫に家へ戻ってきてくれるよう、何回か話し合いを持ちました。しかし、話し合いは平行線をたどり、埒があきませんでした。依頼人が「自分の悪い所は直すから」と言っても、夫は「今さら遅い」の一点ばりです。それに、彼女の両親にこの事態が聞こえるのを恐れて、今回のことは彼女とは無関係であることを強調するのでした。   「もし、あんたが絶対帰ってけえへんって言うんやったら、私、あの女の親に話しに行くよ!」 依頼人がそう言うと、夫は慌ててこう答えます。
「今回のことは俺ら夫婦の問題や。あの子とは何の関係もない。前から言うてるやろ。こうなったのはお前の性格が原因やって!」 夫はどうあっても彼女を表に出したくないらしく、それを誤魔化すために全ての責任を依頼人に押しつけようとするのでした。
依頼人は煮えくり返るような想いを抱えて、仲人に相談を持ちかけました。話を聞いた仲人は非常に立腹し、依頼人のためにひと肌脱いでくれることになりました。
しかし、仲人夫婦が仲に入ってくれても、夫の言い分は変わりませんでした。
そんな中で、依頼人の主張も次第に変わってきました。当初は、「何としても、夫婦でもう一度やり直したい」との一点ばりだったのが、「離婚したいなら、この精神的打撃に見合う多額の慰謝料と子供達二人を育てていくために、これまでと同じ生活水準を保てる養育費を出せ」という風に変化してきたのでした。そして同時に、「浮気相手の彼女とは断じて一緒にさせない」、その二点が依頼人の条件になりました。 もちろん、夫の方はそんな条件には同意しません。夫が提示したことは、二百万円慰謝料と月々十万円の養育費でした。そして、「今回のこととは彼女は関係がない」という主張はあくまでも変わりませんでした。
依頼人側からは仲人夫婦、そして夫側からは夫の会社の社長も出て、五人で何度も話し合いが持たれましたが、話はいつまでも平行線を辿りました。
依頼人が当社へやってきたのはそんな頃です。思いあぐねている依頼人に、例の友人が「一度相談に行ってみたら」と紹介したのがきっかけでした。
「どう思います?佐藤さん」
これまでのいきさつを一通り話し終わると、依頼人はこう言いました。
確かに、私も依頼人の腹立たしく、また納得のいかない気持ちはよく分りました。女を作り、女と暮らしたいがために妻子を捨てて出ていった夫が、突然離婚を要求し、その原因を依頼人の性格や、はたまた「子育てに手がかかって夫の面倒をおろそかにした」ということに摩り替えているのですから。しかも、彼女の両親に聞こえるのを恐れて、あくまでも彼女を表へ出さないようにしている夫の態度には、さぞかし悔しい思いをしているだろうということは想像に難くありませんでした。
しかし問題は、依頼人が当社に何をしてほしいのかという、目的が不鮮明だったことです。
「いよいよ離婚を決意したから、慰謝料を含めて自分の要求額を認めさせたい。万が一、話し合いが決裂して調停に持ち込んだ場合、有利に事を運びたいので、女と一緒のところの証拠写真を撮ってほしい」ということならば、事は簡単なのいです。しかし、よくよく話を聞いていると、依頼人の本心はそうでもないようなのでした。
「離婚を決意したので、事を自分に有利に運びたいから、いざという時のために、証拠として提出できる材料を持っておきたい」ということとか、「夫が一番恐れている彼女の両親に話を持っていく。そのために、彼女の住所や両親の連絡先を突き止めてほしい」ということであれば、調査業者としての私達の任務はすっきりするのです。しかし、依頼人の気持ちは、私と話をしている間もころころと変わるのでした。
「あなたがそういう決められたのなら、ご主人を尾行して浮気現場をおさえるということは可能ですよ」 それまでの話を受けて私がそう言うと、依頼人は迷うのです。
「だけど、尾行して現場をおさえても、夫は帰ってきてくれないし…」
またまた、「もう一度やり直したい」という振り出しに戻るのでした。
かと思うと、「私達がどういう結果になっても、あの女だけは認せへん!」と叫びます。「あの女だけは何も傷つかず、なんでも思いどおりになるなんて、腹立つと思いません?」
「では、彼女の居所を突き止めたいんですか?」私が尋ねます。しかし、依頼人の返答はまた振り出しに戻るのでした。
話を聞いていると、私は依頼人が当社へやってきた目的が何なのかよく分かりませんでした。 話し合いがもめて調停に持ち込まざるを得なくなった時、自分自身を有利に導くために、証拠として提出できる材料を確保しておきたいということなのかと思えば、「いや、私としては、やっぱり主人に家へ帰ってきてもらいたいんです。尾行とか張り込みなんてことをして、そんな風に構えてしまうと、自分自身がもう離婚を前提に話し合いに臨むようで、嫌なんです」と言います。
ならば、「浮気相手の彼女が何も傷つかず、のうのうと主人と暮らそうとしているのが許せない」とあれだけ訴えていた訳ですから、彼女に対して何らかの方策をを取りたいのかと聞くと、「あの女は許せないけど、今、私が彼女の両親のところへ乗り込んだりしたら、主人は怒って、帰ってくるものも帰って来なくなりし…」という具合です。
「お話を聞いていますと、探偵社としてできるようなことは何もありません。もう一度ご主人にあなたの本心をぶつけてみてはいかがですか?」
私はこう言わざるを得ませんでした。
しかし、今後の話し合いの中でも、依頼人の想いを叶えるのは難しいのではないかと、私は思っていました。というのも、依頼人は素直に自分の本心を言わず、意地を張って感情的なことばかりを夫に並べ立てているのです。恐らく、それは今後も変わらないでしょう。
しかし、当事者が感情的になってしまうことを責めることはできません。
「問題の本質はあなたがどうしたいのかということです。腹立たしい気持ちはよく分かりますが、今、必要なのはあなたの本心に従って冷静に行動することだと思いますよ。それがお子さんのためになることです」 私はそう言いました。依頼人は「そうですねぇ」と言いながら、「でも」と、また話が振り出しに戻ります。これでは埒があきません。
その日、私は「最終的に決断を下すのはあなた自身です。自分の想いに沿って決断を下せばいいと思いますよ。また、いつでも相談には乗りますので」と結論づけて、依頼人を見送ったのでした。
依頼人は、夫への未練と自分の家庭を壊した彼女への恨みや復讐との間で揺れ動いていました。しかし、今後どうするのかを決めるのは依頼人自身です。
依頼人が初めて当社を訪れてから何回か相談の電話は入ってきていましたが、私は依頼人の気持ちが固まるまで、そっとしておこうと考えました。
三ヶ月が経って、久しぶりに依頼人から電話が入りました。
「佐藤さん、私、そろそろ結論を出そうと思います。というより、腹をくくるしかなくなってきたんです」 「と言いますと、何か事態に変化があったんですか?」
「ええ。実は給料なんですが、これまでは今までどおり全額銀行に振り込まれていたんですが、今月から十万円しか入ってないんです。主人は『養育費は十万円だ』とずっと言ってましたけれど、その金額しか入ってないんです。これでは、私達は暮らしていけません!」
依頼人は悲痛な声でした。 「とにかく、もう一度相談に行かせてもらってもいいですか?」
二度目に当社にやってきた依頼人は、話し出すと、突然泣き始めました。
「まだ話もついていないのに、勝手に十万円の振り込みにして!銀行には会社から給料全額が振り込まれるようになっていたのに、社長もやっぱりグルなんやわ!」
そして、こうも言ったのです。
「もう、絶対に許さへん。こうなったら、慰謝料もきっちりもろて、あの女にも何らかの償いをしてもらいます!この調子だと、主人はのらりくらりと誤魔化そうとするでしょうから、やはり、きっちりした証拠を持っておきたいんです。佐藤さん、その辺のことはやってくれはりますでしょう?」 「ええ。それは構いませんけれど、しかし、尾行して出てきた報告書はあくまでも最後の手段で取っておかないとだめですよ」
私は言いました。
「えっ?すぐに突きつけたらあかんのですか?」
「こういった報告書は、調停とか裁判といった最後の段階まで伏せておいた方が有利です。それに、通常、慰謝料などの話は調停に持ち出すより、話し合いというか和解で決着つける方が金額的には多くなるものですよ」
「そうなんですか?」
腑に落ちなさそうな顔をしている依頼人に、私は再度説明しました。 「離婚時の慰謝料や養育費は、双方の話し合いによって決着をつけるのが一番いいのです。調停とか裁判とかというものは、どうしても折り合いがつかない時に用いる手段で、第三者に判断を委ねる訳ですから、あなたの言い分が百パーセント通るとは限らない場合が多いですよ」
「でも、今の主人の言い分はどうしても私には納得いきません。第一、養育費は十万円って言ってますし、それに慰謝料だって五百万円って言ってるんですよ!そんな額で、私の精神的な苦痛は癒されません!」
依頼人は夫に対する怒りを私にぶつけるように言いました。
「ではいったい、いくらぐらい欲しいんですか?」 私は尋ねました。
「養育費はこれまでの生活と同レベルが保てるよう、最低でも二十五万円はいります。それに、慰謝料は少なくとも二千万円はもらわないと、割りが合いません!」
依頼人の要求金額を聞いて、私は「それは到底無理ですよ」と即座に答えました。というのも、依頼人は慰謝料二千万円、養育費二十五万円くらいはもらわないと割りが合わないと言うのです。
「ワイドショーなんかに出てくる芸能人の慰謝料は、一億とか何千万円とかの額ですが、一般の人はそんな金額は要求できないでしょう。仮に要求しても、当人に支払い能力がないでしょうから…」
「えっ?!そうなんですか?]
依頼人は驚いて、そう尋ねました。
「じゃあ、どれくらいだったら妥当なんですか?」
「もちろん、その人の生活状況や精神的打撃によって金額は違ってきますが、調停や裁判などの判断は平均二百万円くらいです」
「えっ?!たった二百万円?!私なんか、すごい精神的打撃を受けていますよ」
「『精神的打撃』と言っても、客観的な判断根拠が必要となります。一般的には、ご主人が浮気していた年数で判断される場合が多いですね」
「そうなんですか。でも養育費はこれまでの生活が維持できるくらいはもらえるんでしょう?」
依頼人は尋ねました。しかし、私の返答はまたもや依頼人にとって不満が残るものでした。
「それについても、二十五万円は無理でしょう。ご主人が今どれくらいの給料を取っておられるか分かりませんが、給料のかなりのウェイトを占める額は不可能だと思います。ご主人の方も生活していく権利がある訳ですから」
私は答えました。
「そんな!私が浮気して家庭が崩壊し、『離婚』ということになった訳じゃないのに!そもそも、こうなったのは、主人があの女とくっついて、自分の方から離婚してくれと言ってきたからなんですよ!離婚を望むなら、私と子供達がこれまでどおりに生活できるくらいの金額を保障してもらわないと、離婚には応じられません!」
「あなたの言い分はよく分かりますが、通常、養育費というのは子供一人について三万円から五万円くらいです」
「ええっ?!三万から五万!?そんな金額、とんでもない話ですわ!それなら絶対に離婚届には判を押しません!」
依頼人は私から世間相場の慰謝料と養育費の金額を聞くと、ひどく不満のようでした。
「もちろん、今言いました金額は調停や裁判になった場合の平均的金額です。ですから、和解と言いますか、話し合いで決着をつけた方が、金額的には有利になるというのはそこのところです」
私は再度説明しました。ところが、依頼人は相変わらずこう言うのです。
「そう言われても、私はどうしても納得できません。やはり、慰謝料二千万円と養育費二十五万円は要求したいです」
そして、こうも続けました。 「世間相場がそうなら、なおさらのこと、自分の身を守るためにも、いざという時に有利になる証拠を持っていたいと思います。それに、女の方もこのまま放っておくようなことは絶対にしません!」
こういう訳で、私達は依頼人の主人が、今住んでいる住所の確認を行うことになりました。
尾行調査の結果、ご主人は以前姑が言っていた近鉄沿線で、予想どおり彼女と一緒に暮らしていました。もちろん、証拠として提出できる写真もきっちりと撮って、依頼人に報告したのでした。
私達が報告書を提出した後も、依頼人は何回かご主人と話し合いを持ったようです。話し合いの場には、依頼人側からは仲人夫婦だけではなく、後見人である叔父も出席してくれ、主人側からは姑と会社の社長が出席しました。 この頃になると、依頼人は「もう一度やり直したい」という願いを取り下げざるを得なくなっていました。主人に全くその気がないことは出席者全員が理解していたことでしたので、話し合いの中心議題はどうしても慰謝料や養育費の金額になっていったのです。 しかし、依頼人はあくまでも自分の要求金額にこだわり、それが満たさなければ離婚には同意しないと固執したため、主人も「それならば、今までの話はチャラにする」という態度になってしまい、話し合いは難行していました。
三カ月が経ったある日、依頼人から電話が入りました。
「主人が最終案だと言って、慰謝料の額を提示してきました。確かに最初の案よりも三百万円程増額されていますが、私はそれでもまだ納得できません。だから、これで受けるかどうかはまだ決めていませんが、相談というのは女のことです。この金額で私がウンと言えば、決着がつくと思うんです。それでと言ったら何なんですが、全て決着ついてから、女の親へ乗り込んだらいけませんか?」  「えっ?!決着がついてからですか?」
私は思わず尋ねました。 「ええ。前から言ってましたように、女をこのままにしておくのはどうしても許せないんです」
「そのお気持ちは分からない訳ではありませんが、それはちょっとねぇ…」
私は反対しました。
「いけませんか?」
「いえ、いけないということではありません。どうするのかを決めるのはあなたご自身ですから。別にご主人の肩を持つつもりはありませんが、ただ、私の意見を言わせていただければ、そんなことをすれば、あなたご自身の値打ちを随分と落とすと思いますよ」
「そうでしょうか?」
「今回、ご主人が慰謝料の増額をされてきたのは、報告書の存在を知ってのことだと思います。ご主人が何故報告書が恐いのか、お分かりですか?」 増額された慰謝料で決着をつけた上で、女の両親にどなり込みに行きたいという依頼人に対して、私は反対しました。
「ご主人はどんなことがあっても彼女を表に出したくないのです。あなたが報告書を持って両親の所に乗り込まれたくないために、慰謝料を二百万円から五百万円に上げてきたんだと思いますよ。仮にあなたが彼女を訴えたとしても、慰謝料として得られるのは百万円くらいです。そうなると、ご主人は今回の提示額をまた変更してくるかもしれません」
「それに、あなたが彼女の両親にどなり込んでも、ご主人を取り戻すことはできないのは、既にご自身でも分かっておられることだと思います。私は決してご主人や彼女に肩を持つつもりはありませんし、自分の家庭を壊した彼女を許せないというあなたのお気持ちはよく分かりますが、もうこの段階にくれば、『あんな根性の嫁だから、息子も女を作るんや』と姑に言われかねないような、ご自身の値打ちを下げることにエネルギーを使うのではなく、あなたや二人のお子さんの今後の人生について考えるべきだと思います」
私は、慰謝料などの話が決着ついた後、女の両親にどなり込みに行きたいという依頼人(37才)の意向には賛成しませんでした。 依頼人は「でも、このままでは私の腹の虫が収まらない!」とさかんに訴えていましたが、「そんなことはやめときなさい!あなたのためにはならない!」という、いつにない強い私の口調に押されてか、「そうですか…」と電話を切りました。それでもその言外には不満が残っていたのは、私にはありありと分かりました。
半年が経ちました。時折、依頼人はあれからどうしたのだろうかとふと思うことはありましたが、私の方から興味半分に聞くようなことではないと、こちらからは連絡を取りませんでした。 そんな頃です。久しぶりに依頼人が連絡が入ったのは。
「あれからも何度も話し合いをもちましてネ、結局、慰謝料八百万円と養育費十二万円ということになりました。私は、最初から言ってたように、慰謝料に二千万円をくれるまでは籍を抜かないとがんばってたんですけど、叔父も仲人さんも、『これ以上は無理やで』と言わはるし、子供のこともあるので、これでケリをつけようかなと思ってるんです」
依頼人はそう言いました。
久しぶりにかかってきた依頼人の電話で、私はこの夫婦がようやく次のステップに踏み出すことを知りました。ご主人が依頼人に示した最終案は慰謝料八百万円、養育費十二万円でした。
「でも、私はまだすっきりはしてないんですけどネ」依頼人は言いました。
「慰謝料二千万円をもらわないと籍を抜くつもりはなかったんですけど、叔父も仲人さんも『これ以上は無理や』と言わはるし、子供のこともあるので…」 「そうですよ!」
金額を聞いて、私もこのご主人はよく出した方だと思いました。
「私、実家のある山口に帰ろうと思ってるんです。本当は友達が多い大阪にいたいんですけれど、やはりいざという時に親元の近くの方がいいと思って…。長男も今春、中学生になりますし、同じ戻るなら、キリのいい所で帰った方がいいということになったんです」 「そうですか。今後のことを考えると、その方がいいでしょうね」
私は答えました。
「それで、最後にもう一つだけ相談があるんですけど、いいですか?」
私は「えっ?!まだあるの?」と思いながらも、「いいですよ」と答えました。
「実は、その慰謝料を主人は分割で払いたいと言ってるんですけど、一括でもらった方がいいでしょうか?」
「そりゃあ、一括の方がいいですよ。マ、払える資力があるならばの話ですが。分割となれば、人間、年月が経ち、状況が変わってくると、なかなか払いづらくなってくるものですから。ご主人の方が再婚されて、子供でもできればなおさらです」
私はすかさず答えました。 「そうですねぇ。で、もし、分割しか無理の場合は一筆書いてもらった方がいいのでしょうか?」
私は「もちろん」と答えて、念のためにと弁護士を紹介したのでした。
こうして、ようやくのこと依頼人は次の人生を歩み始めました。私は彼女を一年以上にも亙って見ていて、離婚とは何とエネルギーを要するものかとつくづく思ったものでした。

<終>

納得できない離婚要求(1) | 秘密のあっ子ちゃん(134)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

 先日の発表に、二十一世紀には高齢化が飛躍的に進み、未婚率も大巾に増えるというものがありました。その傾向は当然現在も現れており、結婚しない人が増えてきているだけでなく、離婚する夫婦も増えてきています。そのことは、皆さんの回りの方々(ひょっとすれば、当事者であるかもしれませんが)をご覧になればご理解できることと思います。私の友人にも、つい先日離婚を決めた人がいます。
 離婚というものは、それがどんな原因であろうと、恐ろしくエネルギーがいるものです。増してや、相手の浮気が原因となると、自分の気持ちを固めるまでには相当の心労があります。
 この類いで当社に相談に来られる人は、皆一様に出口のない暗闇の中で呻吟されている場合が多いのです。ですから、私達は、最終的に決断を下すのはご当人であることを踏まえた上で、ご依頼人が少しでも問題点を整理しやすいように、客観的な立場からアドバイスをするようにしています。
今回の主人公の女性も、初めて当社にやってきた時はそんな状況の中で苦しんでおられました。
 その依頼人は三十八才の主婦で、小学六年生の男の子と小学三年生の女の子の母親でした。学生時代から交際していた男性と十四年前に結婚し、それなりに幸せな生活を営んでいました。夫はイベントなどを企画する会社に勤務し、かなりの高収入を得、何よりも子煩悩な人柄でした。仕事の関係上、帰宅時間が遅いということはありましたが、彼女は家事と育児に専念し、何の不満もない結婚生活でした。
おかしくなったのは三年程前からです。
実は七年前、夫は知り合いの頼みで、ある女子高校の文化祭のイベントの相談にのったことがあります。知人の娘が文化祭実行委員長だった関係からなのですが、ある日、彼女が父親に、「みんなで話し合っても、何がいいか全く決まらないの。もう日もないし、どうしよう」とふと漏らしたことから、事が始まりました。 「ふーん、そうか。ワシの知り合いで、イベント会社の企画をしてる人がいるが、いいアイディアがないか聞いておいてやろうか?」 父親は何気なくそう答えました。
「そんな人がいるんなら、私が直接聞いてみるわ」
 父親に依頼人のご主人の話を聞いた彼女は、その足で連絡を入れました。
「電話ではなんだから、一度会って話をしましょう」ということになり、彼女は他の実行委員のメンバーと共に彼の会社を訪ねました。 それが縁で、結局、依頼人の夫は文化祭が終わるまで何やかやと彼女達女子高生の面倒を見たと言います。 文化祭が終わって一週間が経った頃、お礼と共に彼へのファンレターともラブレターともつかぬ彼女の手紙が自宅に届きました。  「こんな手紙がきたわ」
 その女子高の文化祭の顛末を一部始終、依頼人に話していたご主人は、その「ラブレター」もごく自然に妻に見せています。
 彼女はまだ高校三年生ですし、知人の娘ということもあって、ご主人としても、「大人の男性に憧れている少女」という風にしか把えていなかったようです。もちろん、依頼人自身もそうでした。
 ですから、その後、彼女が彼を訪ねて自宅までやってきても、快く招き入れて三人で歓談したことも、二度、三度あったのです。
 「彼女も進学して、世間が広がれば、主人への熱も冷めるだろう」と思っていたのでした。
 依頼人の夫が文化祭の手伝いをしてあげた、その知人の娘は短大へ進学しました。
 短大在学中も、「尋ねたいことがある」とか「相談事がある」とかを言って、彼女は依頼人の夫に電話をしてきたり、自宅に訪ねてきたりしました。そのどれもがたわいのない事柄で、依頼人は彼女の目的が何なのかを十分承知していました。しかし、彼女の夫への想いは「一過性の熱病だろうから、いずれ冷めるだろう」と、気にも止めていませんでした。
 ある時、依頼人は冗談で夫にこんなことを言ったことがあります。
 「若い娘さんに惚れられて、あんたも嬉しいわねぇ」 すると、夫はこう答えたのでした。
 「アホか。あんな子供、相手にはできるか。それに知り合いの娘さんやで」
 夫が彼女のことは眼中にないと確認して、依頼人はより一層安心していました。 彼女が短大の二回生になると、「就職のことで相談したい」と、また連絡が入りました。
 夫も妻に気を使ってか、彼女と二人きりで外で会ったことはこれまで一度もなく、今回も自宅へ呼びました。やってきた彼女は、こう言いました。
 「できたら、お兄さん(彼女はいつの間にか依頼人の夫をこう呼ぶようになっていました)がしたはるような仕事がしたいの。イベントとか催しものの企画をするような仕事を…」
 この仕事が単に憧れだけでできるようなものではないこと、就職するにしても、その後生き残っていくにしても、かなり競争のきつい世界であることを、夫はこんこんと説明しました。しかし、彼女は諦める気配がありません。 
 「お父さんは何て言うたはるの?」
 依頼人は聞きました。
 「『自分の好きなようにしたらいい』って言ってくれてます」
 彼女はそう答えましたが、どうも怪し気でした。
 そこで、その日は「もう少し冷静にじっくり考えた方がいい」と彼女を説得し、依頼人夫婦は彼女の父親と連絡を取ることにしました。 案の定、父親は何も知りませんでした。
 「えっ?!今まで何回もおじゃましてるんですか?えらいご迷惑をおかけしてましてんなぁ、申し訳ない」 彼女の父親は随分と恐縮していました。
 「いえいえ、迷惑ということはありませんが、就職のこととなると、やはり将来にかかわりますので、僕が応援したげるにしても、親御さんのご意見を聞いておいた方がいいと思いまして…」
 依頼人の夫はそう言いました。
 「そうですなぁ。しかし、イベントの企画とはねぇ。ワシも家内も、短大を卒業させたら、しばらくは花嫁修業でもさせて、嫁に出そうと思とったんですがねぇ」 彼女の家庭は地元の資産家で、父親はそれなりの規模の運送会社を経営していました。彼女は三才年上の兄との二人兄弟で、一人娘である彼女をこの父は大層可愛がっていました。しかも、父親は女性の生き方についてはかなり古い考えの持ち主で、依頼人の夫はその辺りのことを十分承知していましたので、今回のことを敢えて知らせたのでした。
 依頼人の夫が、彼女の父親に連絡を取って、三週間が経ちました。今度は、父親の方から電話がありました。 
 「いやあ、あれから何とか諦めるように、家内と一緒に説得していたんですが、聞きしませんわ。あいつもワシに似て、自分がしたいと思ったらテコでも動かんとこがありますさかいなぁ。ちょっと我儘に育てすぎましたワ。」
父親は半分自嘲気味に、そう言いました。
 「マ、家内とも話しておったんですが、こうなったら二、三年勤めさせて、そのうちに見合いでもさせようと思っとるんですワ。それまでは、本人の望むように、イベントの企画かなんか知りませんけど、働きたいのなら勤めさせてもええと思ってますねん。それでというとなんですけど、どっか、ええとこありまっしゃろか?」 
 突然そう言われても、依頼人の夫としても困ってしまいます。しかし、駆け出しの頃に随分世話になった社長さんのことでありますし、今も何かにつけて顧客を紹介してくれている相手に、そう無下に突き放すこともできません。
 「そうですねぇ…。じゃあ、心当たりを少し当たってみます」
 そう答えたのでした。
 父親の頼みで、依頼人の夫は彼女の就職先について奔走したのでした。
 その努力が実り、彼の会社と提携している同業者に、彼女を半ば強引に押し込むことができたのでした。
 その間も依頼人の夫は彼女と何度となく会っています。就職のこととなると、いちいち自宅に招いて話している間もない時もあり、その頃から二人は依頼人の知らないところで会うようになっていきました。しかも、初めのうちこそ、「今日はあの子の相談に乗ってやらないといけないから、少し遅くなる」とか、「今日は先方に連れていってやる」とかという風に、夫も依頼人に報告していましたが、それも次第に何も言わなくなっていったのでした。 それが三年程前のことです。
 依頼人は、当初、「まさか」と思っていました。それに、二人がどうにかなっているなどと考えたくもありませんでした。 しかし、彼女から電話がかかってくると、夫はすぐに隣の部屋に電話を持っていって、小声で長々と話すのです。依頼人が「何の用事なの」と問い詰めると、「仕事の話や!」と声を荒げて答えます。
 彼女から電話がかかってくると、依頼人の夫はそそくさと受話器を持って隣の部屋に行き、小声で長々と話すのでした。そして、時には何も告げず、そのまま出かけていくこともありました。しかも、「出張だ」と言って、外泊する日も増えてきたのです。 その頃の依頼人は、子供達二人がまだまだ小さく、子育てに追われて、以前のように細々と夫の面倒を見れない日々が続いていました。しかし、それでも夫の変化は嫌でも気がつきます。 依頼人は、時には厳しく夫を詰め寄ることもありました。
 「出張、出張って、会社に聞いたら、その日は出張なんか入ってへんやんか!どこに行ってたん!」 「会社の女の子にいちいち言うてへん出張だってあるんや!男の仕事にごちゃごちゃ言うな!」
 「何言うてんの!あの子と会ってたんやろ!」
 「あほか!人の行動に探りを入れるようなしょむないことすんな!会社にもかっこ悪いわ!俺のことが信じられへんねんやったら、出て行ったらええねん!」
 こんな夫婦喧嘩が断えなくなっていきました。
 ある日、依頼人は、夫の手帳のある日付の欄に、女文字で「○○の誕生日」と書かれてあるのを発見しました。彼女が直接夫の手帳に書いたに違いありませんでした。
 その当日、夫は無断で外泊しました。
 依頼人の堪忍袋の緒は切れてしまいました。帰宅した夫を捕まえ、声を荒げて罵倒したのでした。それは、今までにない激しい夫婦喧嘩となりました。子供達は子供部屋で泣きべそをかきながら、じっとうずくまっていました。
 翌日から夫は帰ってこなくなりました。
 一週間が経った頃、依頼人は会社に電話を入れました。
 「今、どこで寝てんの?」 彼女は尋ねます。
 「会社に寝泊りしている。考えたいことがあるから、しばらくは家へ帰れへん」 夫の返答はそんな風でした。
 「私も話したいことがあるから、とりあえず帰ってきて。このままでは、何も始まれへんから。一度話し合いたいねん」
 彼女は夫にそう訴えました。
 「ああ、分ってる。そのうち、話をしに一ぺん帰るから」
 夫はそう答えましたが、二週間経っても、三週間経っても、夫は帰ってきませんでした。
 ひと月近く経った頃、依頼人は子供達を連れて、会社にいる夫を訪ねました。子供達は久しぶりに父親に会って大喜びでした。しかし、夫は依頼人に離婚の話を持ち出したのです。
 夫の言い分はこうでした。 「俺がこうなったのも、お前が悪いからや。『子育て、子育て』と言って、俺のことは放ったらかしやったやないか。それにお前の性格が悪い。いつもキーキー、キァーキャーと口うるさいし、俺は家へ帰ってもくつろぐことがあれへん」 依頼人は驚きました。まさか、夫にそんなことを言われようとは思ってもいなかったのです。夫は例の彼女のことは一切口にせず、自分が家を出た原因は依頼人のせいであるということを繰り返し述べるのでした。 それを聞いて、依頼人は夫に謝りました。
 もちろん、依頼人は腹立たしい思いで一杯でした。しかし、もともと離婚する気などまるでありませんでし、ただ、彼女から夫を取り戻し、以前のように親子四人の水いらずの生活がしたかったからです。
 夫が並べたてる離婚要求の理由に対して依頼人は理不尽だと思いながらも謝ったのでした。
 「確かにこの子らに手がかかって、あなたの面倒を十分に見れなかったことは反省しているわ。だけど、私もすき好んで、口うるさく言ってた訳じゃない。彼女のことをはっきりしてくれたら、私もとやかく言う必要があらへんのやから。私の悪い所は直すから、この子らのためにも、家に戻ってきてほしいねん」
依頼人の想いはただ一点、夫が彼女と手を切り自分達夫婦がもう一度やり直したいということでした。そのためには、謝りもし、自分の至らなかった所は本気で直そうと考えていました。依頼人は何度もそのことを訴えました。
 しかし、夫の返答はこうでした。
 「もう遅い。今さらやり直すことなんかでけへん」 「そしたら、この子らはどうなるの?」
 小学六年生と三年生の二人の子供に目をやりながら、依頼人は言いました。下の小学三年生の長女は無邪気にお子様ランチについていた旗で遊んでいましたが、上の六年生の長男は両親の様子を察して、デザートに頼んだチョコレートパフェを、黙りこんでひたすら口に運んでいました。
ただひたすら、夫ともう一度やり直したいと願っていた依頼人は、最後の手段として、子供達のことを引き合いに出し訴えました。
 「やり直すにはもう遅いって、そしたら、この子らはどうなるの!?」
 「こいつらには悪いと思うけど、しゃあない。みんなお前の責任や。それに、全然会われへんようになる訳じゃないし、養育費は出す」
 「そんな!勝手すぎるわ!」
 この日の話し合いは、こんな言い合いばかりが堂々巡りとなり、それ以上進展しませんでした。
 翌日、依頼人は姑に会いに行きました。姑の口調は基本的には息子の不貞と家族への無責任さを詫びていましたが、そこは長年母一人子一人で暮らしてきた可愛いい息子をかばうニュアンスが漏れ聞こえるのでした。 
 これは、依頼人もこれまでの夫と姑の母子関係を見ていると予想できたことでしたので、さほどがっかりはしませんでしたが、孫のために力を貸してくれるのではないかと少しは期待もしていました。しかし、その淡い期待は全く的はずれだということがよく分ったのでした。
 ただ、こんな話が聞けたのです。
 「この前、電話があったけど、もう部屋を借りてるみたいなこと言ってたよ」 全く知らない話でした。夫は、依頼人にはずっと会社で寝泊まりしていると言っていたのです。
 「えっ!?部屋を借りているって、彼女と一緒なんですか?」
 「いやぁ、そこまでは知らんけど…」
 姑の返事は歯切れの悪いものでした。
 「で、それはどこなんですか?」
 「近鉄線の何とかという駅の側やって言うてたけど、聞いた住所のメモは無くしたわ」
 明らかに息子をかばっているのが分かりました。
 依頼人は、前々から相談に乗ってもらっていた近所の友人の元へ走りました。 「もう、どうしたらええか分れへんようになったわ」依頼人はそう言いながら、泣くのでした。というのも、両親の様子を察した小学6年生の長男が家庭内で暴れ始めるようなっていたことも、依頼人が嘆く原因の一つとなっていました。
 父親が帰らなくなってから、長男は依頼人に刃向かうようになっていました。依頼人は、どちらかと言えば教育や躾には口うるさい方です。
「宿題はちゃんとしたの?!」「家に帰ってきたら、すぐ手を洗わなあかんと言うてるでしょ!」
 そんな依頼人に、長男はこれまでブーとふくれながらも言うことを聞いていたのです。しかし、近頃はどうでしょう。「うるさいなぁ!くそババア!」です。 そして、二日前、食事の途中でファミコンに興じている息子を叱りつけたところ、長男は「うるさいんじゃ!」と叫びながら、茶碗を窓に向けて投げつけ、ガラスを割ったのでした。 十二才という難しい年頃の長男の心が荒んでいくのを、依頼人は一番恐れていました。 「だけど、それはご主人が家に帰ってけぇへんことだけが原因じゃないんと違う?だいたい、あんたは少し口うるさすぎるよ。もっと、あの子の気持ちも考えたげんと」
 今までもずっと、黙って依頼人のグチを聞き、励ましもし、相談にのってくれていた友人はそう言うのでした。
 友人は言うのでした。
「十二才と言えば反抗期で、一番難しい年頃やんか。まして、あんたとこは今ご主人がそんな状態やねんから。子供って、知らん顔してるようやけど、みんな分かってるよ。ガミガミ叱るばっかりじゃなくて、もうちょっと、あの子の気持ちも考えてあげんと。あんたのしんどい気持ちも分かるけど、子供に当たってたらあかん」 「分かってる・・」
 依頼人はか細く頷くばかりです。
友人はこうも言いました。 「子供のためにも今、あんたがしっかりせなあかんやん。いつまでもこんな状態をズルズル放っておく訳にはいかへんのと違う?」 「でも、私はもう一ぺんやり直したいねん。主人は私の責任やって、私の悪いことばかり並べたてて腹が立つけど、それも一理あるような気がするし、戻ってきてくれるんやったら、それはちゃんと直そうと思ってる。だけど、あの女は絶対に許せへん!人の家庭を壊しておいて、私が離婚することになんかなったら、絶対に主人と一緒にさせへんから!」
 その日、依頼人は友人に夫が家に帰ってくれるよう、もう少し努力すると言ったのでした。
<続>