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結核の私を看病してくれた彼女(2) | 秘密のあっ子ちゃん(64)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

二人が結婚を約束していたと言っても、それは二人の間だけのことで、彼女の両親はそのことを全く知りませんでした。
娘の帰りが連日遅いのを不審に思った両親は彼女を問い詰めました。良家の子女である彼女がこれほど遅く帰宅することは今までになかったからです。両親は結核患者の看病をしていると知って驚愕し、彼女を一歩も家から出さないようになりました。
依頼人が結婚を断念した理由の一つには、彼女が軟禁されたということもありました。彼女をこれ以上苦しめてはいけないと思ったからです。
当時、結核は療養治療が一般的でしたが、この頃から手術も行われ始めるようになっていました。しかし、それはまだまだ危険性の伴うものでした。彼はその手術にイチかバチか自分の運命を賭けました。
手術は成功しました。彼の結核は完治し、以降四十年、彼は元気に暮らしてきました。しかし、彼女とのことは気がかりとして、ずっと彼の心に陰を落としてきたのです。
地元の名家の娘だったという彼女を探すのに、スタッフはまず実家を突き止めるのが一番の早道だと判断し、人探しの調査に入りました。
ところが、実家はなくなっていました。引き続きの調査の結果、「分家」というお宅が見つかりました。
スタッフはすぐにそのお宅へ聞き込みに入ります。ところが、「ウチは分家ですけど、本家の話はちょっと…。最近はつきあいをしてませんから…」こんな返答だったのです。何かあったと感じたスタッフが尋ねますと、「昔の話ですから…」と言葉を濁されるのです。スタッフもそれ以上の詮索は悪い気がして、しつこく聞くのは止めました。それでも、その分家のお嫁さんという人は「昔、聞いたままの分だけど」と断って、彼女の電話番号を教えてくれました。
スタッフがその番号に電話を入れると、それは既に現在は使われていないものでした。もう一度分家のお嫁さんに頼むと、今度は妹さんの住所を教えてもらうことができました。
妹さんの返答も何故か歯切れの悪いものでしたが、何とか彼女の現住所を知ることができ、こうしてやっとのことで私達は依頼人に報告することができたのでした。
四十年前のお礼を言おうと、依頼人は報告を受けた三日後、彼女を訪ねました。しかし、その住居を見て驚き、彼女を訪ねる代わりに当社に相談にやってきました。
「いやぁ、訪ねてみてびっくりしました。とても汚いアパートで、こんなとこに住めるのかなと思えるくらいのお化け屋敷みたいな所でした。昔は立派なお家で、お父さんも地元の名士でしたのに…」
彼女の家は何らかの事情で没落したのは明らかでした。
彼が悩んでいるのは、自分が彼女に会いたいのが結核を患った時に献身的に看病をしてくれたことへの感謝の気持ちを伝えたいということであっても、現在の状況の彼女の前に四十年ものブランクがある自分が突然現われれば、彼女が却って嫌な思いをするのではないかということでした。
「苗字も変わっていませんから一人身なんだろうと思いますし、私で力になれることがあったらと思う反面、彼女の誇りを傷つけたくもありませんし…。どうしたもんかと思いまして」
私はウーンと考えて、こういう結論を出しました。 「やはり、そっとしておいてあげた方がいいのではありませんか?」
「佐藤さんもそう思われますか?やはり、今しばらくは連絡を取らないでおくことにします」
彼はそう言って帰っていきました。

<終>

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