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満員電車の「押し込み」係(1) | 秘密のあっ子ちゃん(65)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

今回は二十三才の青年が、一目惚れした女性にコンタクトの代行をしてほしいと依頼してきた時のお話をしましょう。
彼は三週間程前に当社へやってきました。彼は先方の名前も住所もそれに電話番号まで知っていました。 「彼女のことを随分よくご存じなんですねぇ?」
当社のスタッフが聞きました。 
「ええ。実は、何故それだけ知っているのかというと…」と語り始めた彼の話はこういうことでした。
彼は昨年まで、関西のJRのある駅で通勤ラッシュ時に人々を電車の中に押し込むアルバイトをしていました。 八時過ぎの列車に、お目当ての彼女がいつも乗車していたのです。彼は毎日彼女の背中を押し続け、弾き出されそうになるのを電車の中に押し込んでやっていました。
彼女は高校生でした。彼女の制服を見て、すぐにどこの高校なのかも分りました。ストレートのロングヘアーをさらさらなびかせて、色白で目がくりっとした彼女に、彼は一目で心を奪われていました。
人々の背中を押すそのアルバイトは結構重労働でしたが、彼にとって彼女が乗る電車の時だけは楽しみな時間となっていました。
ところが、昨年の三月から彼女の姿は見えなくなりました。
「たぶん、高校を卒業したのだと思います。名前も電話番号も分っているので、何度か自分で連絡しようと思ったのですが、勇気がなくて…」
彼はそう言いました。
「『押し込み』をやっていて、どうして彼女の名前や電話番号が分ったのですか?」
スタッフは尋ねました。 彼の説明はこういうことでした。
ある日、駅への到着が普段より遅れた彼女がホームへ駆け上がり、電車に飛び乗った時に、定期を落としたのだそうです。彼はすぐさまそれを拾って彼女に手渡そうとしましたが、彼女は後向きになって気づきませんでした。そして、列車はすぐに扉がしまって発車してしまったのだそうです。 定期に書かれてある名前を見て、彼は彼女の氏名を知りました。
彼はその定期を駅長室に届け、「念のため、自宅に連絡しておいてあげたいのですが」と申し出ました。

<続>

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