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中学時代の友人(1) | 秘密のあっ子ちゃん(75)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

私達が行っている「思い出の人探し」の多くは、昔、恋心を抱いた人や青春時代に真剣に交際していた人を探偵に探してほしいという異性に対する依頼のケースが一般的なのですが、時には恩師やお世話になった方といった同性の人を探してほしいという場合もあります。
今回の主人公の六十一才の男性の場合もそういったケースで、中学時代の同級生だったある男性を探してほしいというものでした。 仮に、依頼人を田中さん、彼が探している同級生を山本さんとしましょう。
昭和二十二年入学の二人は、その中学校の第一期生でした。入学してすぐに二人は仲良くなりました。学ぶにしても、遊ぶにしても、二人はいつも一緒でした。
山本さんの父は商売上手で、戦前より大層羽振りが良く、広大な屋敷を所有していました。先見の明も持ち合わせていたため、戦後の激動の時期においても没落することなく、田中さんが知り合った頃にはその勢いはますますのものでした。彼は豪胆な性格で、それ故にか女性関係も大層活発で、山本さんには実の兄弟以外にも腹違いの兄弟姉妹が多くいて、その子供達は皆、広大な屋敷の中で共に仲良く暮らしていました。
加えて、豪気な性格の父は大勢の若者の面倒もよく見たため、屋敷にはいつもたくさんの人が出入りしていました。
田中さんもそのうちの一人で、山本さんとは性格が全く正反対の彼は山本さんの父に大層気に入られ、しょっちゅう山本さんの家へ遊びに出かけていました。山本さん自身が家にいなくても、山本さんの兄弟や出入りしている若者と屋敷内でたむろしていた程です。
二人が中学生だった昭和二十二年から二十五年にかけては、まだまだ食糧事情が悪く、それ程貧しい家庭に育った訳でもない田中さんでさえ、まともな食事にはありつけない状況でした。しかし、山本さんの家へ行けば、いつもたらふく贅沢な物にありつけました。こうして、成長期であった彼は世間では食べる物がろくになかったあの時代を食糧については何不自由なく過ごせたのでした。
中学を卒業すると、二人は別の高校に進みました。高校時代にはそれなりの行き来はしていましたが、昭和二十八年頃から音信が途絶えてしまいました。
昭和二十八年、彼は東京の大学に入学しました。その直後、山本さんの家が売却されたと聞き、それを境に連絡が途絶えたのでした。
二年後に持たれた同窓会でも、山本さんは顔を出しませんでした。というより、クラスの全員が彼の行方を知らず、案内状を送りようがなかったのです。
月日がたち、依頼人も結婚して子供もでき、それなりの家庭を持つようになって、ふと「山本さんはどうしているんだろう?元気なのだろうか?」と思うようになりました。あの広大な屋敷が売りに出されたのは知っていました。「お父さんがあれだけ羽振りが良かったのに、家を売ったというのは何かあったんだろうか?元気にされているんだろうか?」そんなことも思いました。
彼は山本さんの出身高校の同窓会名簿を取り寄せてみました。しかし、彼の欄は空白となっており、やはり現状は不明でした。
それからまた歳月が流れました。
<続>

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