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板前修業を支えてくれた人(1) | 秘密のあっ子ちゃん(77)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

 三十年前、ちょうど二十才だった依頼人は北陸で板前の修行をしていました。 彼は九州の出身で、八人兄弟の下から三番目でした。父は炭鉱で働いていましたが、それも廃鉱となり、家は決して裕福ではありませんでした。何とか地元の高校を出してもらった彼は、自分の将来を考え、また家計を助ける意味もあって、板前の修行に出たのでした。 修行時代の生活は、それは厳しいものでした。朝早くから夜遅くまで働き、給料は雀の涙ほどのものでした。それに、先輩達に怒鳴られても、泣き言を言える人は誰一人いませんでした。田舎への手紙に一言でもそんなことを書こうものなら、まだまだ幼い弟や妹を抱えて家計を支えている母に心配をかけるだけだということが分かっていましたから。だから、どんなに辛くとも、ホームシックにかかろうとも、彼はそこでがんばるしかありませんでした。
 そんなある日、彼は日頃目をかけてくれている一人の先輩に連れられて、あるスナックへ行きました。
そこで知り合ったのがその店に勤めていた彼女でした。
 当時、彼女は彼より十四才も年上の三十代中ばで、その後、彼を弟のように随分と世話をしてくれるようになるのでした。 
 初めて出会った日、 偶然にも依頼人と彼女は同郷の出身だということが分かりました。途端に彼女は彼に親しみを覚えたらしく、「ハイ、これ、食べなさい」とか、 「仕事、きついでしょうけど、 がんばってネ」とか、何かとかまってくれたのでした。
彼もまた、故郷を遠く離れ、 泣き言一つ言える人もなく、しかも帰るに帰れない状況の中で、本音を言える初めての人に思えました。 それからというもの、 彼は自分の給料の許す限り、
彼女のいる店へ通うようになりました。 彼女はまるで彼を弟のように可愛がってくれたのでした。
彼女は当時、一度結婚し、二人の子供を儲けましたが、船乗りだった主人とは5年前に離婚していました。実母と暮らし、彼女が仕事に出ている間の子供達の面倒は、母が見てくれているということでした。
 だからと言って、二人はいくら親密になっても、深い仲になることはありませんでした。
それはまるで年の離れた姉弟のようで、彼女は一人厳しい修業に耐えている彼に世話をしてくれたのでした。
 ある日、彼は先輩のあまりの理不尽な言い方に反発し、口答えをしてしまいました。親方や先輩の言うことは絶対だった板場で、先輩に歯向かったことは彼の立場を非常に悪くし、居づらいものにしてしまいました。ついに、彼はその店を退めるはめになったのです。 次に修業させてもらえる店はなかなか見つかりませんでした。その間、彼女は彼の面倒を見、ずっと食べさせてくれていたのでした。しかも、彼女の奔走で次の店を何とか決めることができたのでした。
 次の店に勤めてからも、彼女は様々なことに気を配ってくれ、彼を励まし、随分と世話をしてくれました。そんな関係が二年程続いた頃、彼女は故郷で再婚することが決まりました。昭和三十九年のことでした。
 「私がおらんでもちゃんとがんばっていくのよ。一人前になったら、また会いましょう」
 彼女はそう言って、九州に帰って行きました。

<続>

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