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従兄弟を探したい(1) | 秘密のあっ子ちゃん(101)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。 

 今回のお話の主人公となる女性が三十年来の気掛かりを解消するために、東京から当社に連絡してきたのは昨年の春のことでした。 彼女は五十二歳の主婦で、探してほしいという人は昔の恋人でも、お世話になった方でもなく、彼女の従兄弟のことでした。
 彼女はこの従兄弟の正確な年令を知りませんでした。それのみならず、会ったこともありませんでした。ただ、亡くなった母からそういう人物がいるということだけを聞かされていたのでした。
 彼女の母は九人兄弟の八番目で、明治四十四年生まれです。母には二人の姉がいました。今回、依頼人が探してほしいというのはその母の姉の一人、長女の息子のことです。
 依頼人から言えば叔母に当たるこの女性にも彼女は会ったことがありません。叔母は昭和十八年、四十三歳の若さで亡くなっています。彼女が生まれたのは昭和十九年ですから、知らないのは道理でした。
 しかし、彼女は幼い頃から母にこの叔母のことをよく聞かされていました。母より十歳年上の姉で、よく母の面倒を見てくれた優しいお姉さんだったと言います。
 実は、母こそが姉の息子のことをずっと気にかけていたのでした。
 依頼人の母の長姉は九人兄弟の長女であったため、幼い弟や妹達の面倒をよく見、またよく母を助けていました。彼女は幼い頃から優しい人柄の女性でした。母はこの姉を大変慕っていたのです。
 母が依頼人に語って聞かせていたことによると、この叔母は若い頃に一度結婚しましたが、間もなく離婚しています。その後再婚し、東京から名古屋へ移住しました。
 子供は二児を儲けていますが、初婚時に生まれたのか再婚後に生まれたのかは、依頼人には定かではありませんでした。しかし、従兄弟がいるということはまぎれもない事実でした。
 叔母の二人の子は、上は女の子で、母によると十六歳の時に病死したとのことです。下の男の子は元気に育っているはずで、母は亡くなるまで、この甥がどうしているのかをずっと気にかけていました。
 彼女はできるならば何とか従兄弟の消息を掴み、母に知らせてやりたいと思っていました。それで、区役所に相談に行ったのです。 係の人は彼女が探している人物が身内だと分かると、懇切丁寧にいろいろと教えてくれ、まずは母が結婚する前、実家に籍を置いていた頃の「改正原戸籍」を取ることを勧めてくれたのでした。
 本来、そこには生年月日、出生場所、出生届け人や、長じて結婚した場合、婚姻相手とその本籍などが記載されています。女性が婚姻した場合、籍は夫の本籍に入りますので、その時点で実家の籍からは「除籍」となります。逆に離婚して実家の籍に戻ってきた場合は、婚姻前の当人の欄とは別に新たに「離姻のため入籍」と欄が設けられ、その後死亡までの内容が記載されます。死亡事項については、死亡年月日、時間、死亡場所、届人の氏名が記載されるのが普通です。
 しかし、依頼人の叔母の場合、出生事項については「原戸籍ニ依り出生事項知ルコト能ハサルニ付キ其記載ヲ省略ス」と記載されているのみで、その後の婚姻、離婚については一切触れられていなかったのです。そして、昭和十八年に死亡した年月日と時間、死亡場所、再婚後の夫であろうと思われる人物が届出ていることが次の行に書かれてありました。
 つまり、改正原戸籍を見ても、叔母については依頼人の祖父母の長女であることと生年月日、死亡時のことだけが明記されているだけで、その他のことは一切不明であったのです。
 「今でこそ戸籍はきっちりとされていますが、昔はこういうことはよくあるんですよ」
 役所の人はそういう風に説明してくれました。
 「じゃあ、これ以上のことは分からないんでしょうか?」。彼女は尋ねました。 「そうですねぇ。戸籍の記載がこれでは、私達の方ではどうしようもないですねぇ」
そう言われて、彼女は“母のために従兄弟を探す”ということは断念せざるを得ませんでした。
 甥のことを気にしていた母も亡くなり、彼女自身もすっかり諦めていました。ところが、十年以上も経ったある日、テレビで当社のことを知った依頼人は「ひょっとして」と思い、相談してきたのでした。
 私達は依頼人の委任状を得て、もう一度彼女の祖父や伯父達の戸籍を綿密に調べました。しかし、祖父の謄本除籍にも、家督を継いだ伯父の改正原籍にも、その後戸主となった叔父の原戸籍にも一切手掛かりはなかったのでした。そこには、叔母だけではなく、彼女の母も含めて兄弟全員の出生欄には「原戸籍ニ依り出生事項知ルコト能ハサルニ付キ其記載ヲ省略ス」となっていました。
 それのみならず、彼女の叔母の欄は婚姻の経過も一切記載されていず、死亡時のことだけしか明記されていなかったのです。これは、依頼人自身が以前役所で聞いたことと同じものでした。 そして、何よりも従兄弟達二人の出生のことが一切触れられていないのです。これでは、依頼人の従兄弟達には籍がないことになります。正式に婚姻届けを出していない夫婦であっても生まれた子供は、認知されているものであれ、私生児扱いであれ、必ず戸籍には載るものです。 
 「こんなことって、あるんですか?」
 私は不思議でしかたなく、当社の顧問弁護士に尋ねました。弁護士は「ウーン」と唸りながら、こんな風に答えました。
 本来戸籍とは、正式に婚姻届けを出しているかどうかは別として、子供が出生すれば必ず記載されるものです。それは、嫡出子であれ、認知された非嫡出子であれ、私生児であれ変わりないことなのです。
 しかし、依頼人の従兄弟二人はその存在が一切明記されていませんでした。
 「こんなことって、あるんですか?」
 私は不思議でたまらず、当社の顧問弁護士に尋ねました。
 「ウーン……」。弁護士も唸りました。「普通はありえないことですが、明治時代ということを考えると、まだまだ戸籍もきっちりされていませんでしたから、こんなことも出てくるんでしょうねぇ。考えられるとすれば、生まれてすぐに里子に出して、その家の籍に入っているか、この方の場合、再婚と言っても正式な婚姻届を出されていませんから、内縁の夫の籍に入れたかでしょうねぇ……」
 弁護士はそう教えてくれました。
 依頼人に確認すると、彼女の叔母が再婚した時、正式に届けを出していないことも初耳であるし、従兄弟達が里子に出されたものか否かは、母が亡くなっている今では確かめようがないというこでした。

 私達は戸籍関係とは異なる方策で、彼女の従兄弟を探し出さなければならなくなりました。
 依頼人はこうも言っています。
 「叔母は再婚後、ご主人の仕事の関係で東京から名古屋へ移住したそうです。母の話によると、ご主人は郵政省の役人で、かなりの地位だったということでした」
 私達は叔母の死亡を届けている男性こそが、彼女の“再婚相手”だと判断し、名古屋近辺のその苗字で、依頼人の従兄弟が存在しないかを当たったのでした。これは従兄弟が里子に出されたのではなく、この再婚相手の男性の籍に入っていると踏んでの上でした。  しかし、これはかなりの労力をかけたにもかかわらず、徒労に終わったのでした。届けに出されている叔母の死亡場所は名古屋第一赤十字病院の住所であり、この男性の姓でも、叔母の姓でも、名古屋市近辺では従兄弟の存在は掴むことができませんでした。
 次に、私達は郵政省に問い合わせました。

<続>

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