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退職した同僚のことが…(1) | 秘密のあっ子ちゃん(105)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

その男性が初めて当社にたずね人の調査を依頼してきたのは、四年前の平成5年9月のことでした。
当時、彼は二十八歳で、まだ結婚はしていませんでした。「もうそろそろ身を固めたら」と、親戚や上司から見合い話がたくさん来るのですが、彼はどうも乗り気にはなれないと言うのです。というのも、彼には忘れられない女性がいました。
彼女は彼が三年前まで勤務していた会社の同僚で、彼より三歳年下でした。
彼は彼女に以前から好意を持っていたのですが、話すことはほとんどありませんでした。何年も同じ職場にいるにもかかわらず、かなり大規模な企業である上に、部署が違っていたため、その機会はなかなか訪れなかったのでした。それが、偶然な形で彼女と話せる機会がやってきました。
ある日、同僚達と近くの居酒屋で飲んでいると、彼女達のグループがやって来ました。彼の先輩の一人は人懐っこい性格で、彼女達のグループを目ざとく見つけると、「合流して飲まないか」とすぐに声を掛けました。もちろん、その先輩は彼が彼女に好意を持っているとは全く知らなかったのですが、その先輩の「おせっかい」のお陰で、彼は初めて彼女と言葉を交わすことができたのでした。
店を出る頃になって、その先輩が酔いも手伝って、こう言ったのです。
「おい、彼女達を送ってやれよ」
彼はもともとお酒はあまり受け付けない方で、会社帰りに先輩達と飲みに行っても、これまでも彼の車でよく送らせたりしていました。
先輩のこの「おせっかい」が、またもや彼に幸運をもたらしました。三人の女子社員を送る中で、彼女の家が一番遠方で、二人の女性が降りた後は彼女と二人きりで話す機会を持つことができたのでした。
しかし、二人きりの会話はそれが最初で最後となってしまいました。間もなく、彼女は退社してしまったのです。
その当時は「彼女の姿が見れなくて、少し残念」としか思っていなかった依頼人でしたが、三十歳の声も聞き、見合い話が持ち込まれるようになると、依頼人はなおさら彼女の消息が気になってきました。
しかし、彼は昔の同僚に尋ねることだけは避けたいと思っていました。それはささやかな彼の見栄だったのです。彼女と同じ職場にいた当時でさえ、彼が彼女に好意を持っていることを誰にも知られたくないと思っていました。それが、彼女と接触する機会を逸しさせていたくらいですから…。 彼はプロに頼もうと思いました。プロなら、昔の同僚にも、彼女自身にさえも分からないように、その消息を突き止めてくれるだろうと思ったからです。
ですから、当社へ人探しの依頼にやってきた時も、「前の職場や同僚への聞き込みだけは困る」と、彼は強く言っていました。それ以外の方策で、彼女が今どうしているのかを調べてほしいと。 それ以外の方法となると、彼が彼女について知っている材料と言えば、あの居酒屋で初めて彼女と言葉を交わした帰りに送っていった住所だけでした。その時、彼女は、「このアパートに、友人二人と暮らしている」と言っていました。
しかし、このアパートへは、彼が当社に依頼する前に既に訪ねていたのです。彼が訪ねた時、アパートの部屋には人影がなく、それは夜のことでしたが、電気もついていず、誰かが住んでいる様子がなかったと言います。もともと、彼はドアをノックする勇気もなく、さりとて近所に聞いてみるということまでは考えが及ばず、そのまま引き揚げてきたのでした。
唯一の手掛かりがそれでは、調査は難航するだろうことは安易に想像できました。しかし、彼は断固として前の職場への聞き込みについては拒否するのです。 止むを得ず、私達は彼の言うアパートへ出向きました。調査の基本は警察の捜査と同じく、足で稼ぐということです。そこで次の展開ができるような情報を仕入れていくしかありません。 スタッフがアパートに着くと、その部屋には表札が掛かっていず、郵便受けにはチラシ類が溜まっていました。そして洗濯物も干していず、やはり生活臭がなかったのです。
しかし、そのアパートしか手掛かりがないのですから、それで引き下がる訳にはいきません。
スタッフは近所に軒並みに聞き込みに入りました。ところが、そのアパートには彼女が住んでいる様子がないのです。
「隣ですか? 若い女の人は見たこともないですよ。三人も若い子がいれば分かりますもの。えっ? あそこの住人ですか? ほとんど近所付き合いをされてませんからねぇ。どんな人が住んでいるかも知りません。全く出入りはないですよ」 「あの部屋の人ですか?見たことないですねぇ。住んでおられるんですか? ずっと帰ってこられてないようですよ」
概ねこんな反応でした。 次に、スタッフはこのアパートを管理している不動産屋を訪ねました。せめて、あの部屋の名義人の名前だけでも知りたかったのですが、「プライバシーの保護」ということで答えてはもらえませんでした。
スタッフはガス会社や水道局にも足を運びました。ところが、ここでも「プライバシーの保護」ということで、そのアパートの名義人の名前を教えてもらうことはできませんでした。
しかし、ここで諦める訳にはいきません。粘りに粘った結果、その部屋の名義人は彼女ではないことだけは確認できたのでした。
調査は暗礁に乗り上げてしまいました。こうなれば、もう一度原点に戻るしかありません。
スタッフは再度、アパートを管理する不動産屋さんに出向きました。すったもんだの交渉の末、やっとこんな情報を聞き出すことができました。
「あそこのアパートの家主は何回も変わっていて、あの部屋に入居された時の家主さんは三代くらい前の方です。その家主さんのことはウチでは把握してないんですよ。今の家主さんなら分かりますが……。実際のところ、私共でもあの住人のことはよく分からないんですよ。家賃はきちっと振り込まれていますけれど、部屋をどんな風に使われているのかも知らないんですよ。ですから、お教えすると言っても、今の家主さんのご連絡先ぐらいしか分かりませんねぇ」
この状況下では、それだけでも御の字でした。
不動産家さんが教えてくれた家主さん宅へ、スタッフは急行しました。しかし、不動産家さんから得た情報以上のものは何も得られなかったのでした。
「あのアパートが私の所有になったのは2年前です。あの部屋の人とは面識がないんですよ。家賃は月々、不動産屋さんが管理してくれている口座へきちっと振り込まれているようですけどね。三代前の家主さんならよくご存じだと思うんですけどねぇ……」 家主さんはそう話してくれました。 「その三代前の家主さんのご連絡先は分かりますでしょうか?」
スタッフは勢い込んで尋ねました。
「それがねぇ……、その方は行方不明なんですよ。何でも、かなりの負債を抱えられたとかで。あのアパートもその時に手離されたみたいですよ」
これでまた、彼女へ繋がる糸は切れてしまいました。

<続>

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