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養父の隠し子は今…(2) | 秘密のあっ子ちゃん(116)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

 「今、ここで、あなた達を路頭に迷わすようなことがあれば、私は死んだ養父に顔向けできません」
 依頼人(現在八十八歳)は養父の隠し子の上の娘にそう反論しました。
 しかし、彼女は重ねてこう言ったのです。
 「お気持ちは本当に有り難く思っています。でも、これ以上、血の繋がっていないお兄様にご迷惑をかけるのは、母が納得しないと思います。お父様が亡くなった今は、お店ももうお兄様の代になっていますし……。幸い、私の主人が優しい人で、全ての事情を分かって私を迎えてくれていますので、主人が母と妹の面倒を見ると言ってくれているんです」
 彼女はそこまで話すと、奥から店の方へ行き、ご主人を呼んできました。ご主人とは婚礼の時に顔を合わせていましたが、こうして一対一で話すのは初めてでした。
 依頼人はご主人とひとしきり話し込んだ後、彼女の母、つまり養父の妾だったその女性の心情を察して、二人の世話をご主人に委ねることに決めたのでした。 その後しばらくは彼女から折々の季節の挨拶を受け取っていましたが、戦局が悪化してくると、その音信も途絶えてしまいました。
 依頼人が昭和十八年に再召集され、戦局も日々悪化していくと、彼女達の音信も途絶えがちになっていきました。店の一切は古くから勤めてくれている番頭に委ねて、彼は戦地に赴いたのですが、復員後、番頭から聞いた話では昭和十九年の秋頃から彼女達の消息は全く分からなくなったということでした。 しかし、今回は彼女達を探すどころではありませんでした。店は空襲で焼かれ、使用人達もある者は戦死し、業務を再開する目処すら全くつかなかったのです。こんな状態であれば、遠縁を頼って疎開している使用人を呼び戻すこともできません。
 彼は残った番頭と復員してきた若い二人の四人で、とりあえず商売になることなら何でも手当たり次第に活動を始めました。
 五年が過ぎ、十年が過ぎ、何とか商売も格好がついてきて、これなら老舗の暖簾も守っていけると感じた頃、彼は彼女達を探し始めました。
 しかし、心当たりのある所を八方手を尽くして探しても、彼女達の消息は杳として掴めませんでした。上の娘が嫁いだ小間物問屋は空襲には遭っていなかったものの、空家同然となっていました。
 戦後の混乱期をなんとか乗り越え、昭和三十年代になると、依頼人は旧態然とした老舗の経営体制を改めて、店を株式会社にしました。
 商売がこうして少し落ち着ついてくると、彼は彼女達母子を探し始めました。 しかし、どんなに手を尽くしても、その行方は杳として把めませんでした。上の娘が嫁ついだ小間物問屋も今はなく、そこには見ず知らずの人が商いを営んでいました。何でも、ご主人が戦死した後、番頭が中心となって店を売り払い、使用人がそれぞれに分配を受け取って散り散りになっていったというのが近所の話でした。妻である彼女とその母がどこへ行ったのかを知る人は誰もいませんでした。 
 彼は彼女達を探すのは断念せざるを得ませんでした。 それから四十年近くが経ちました。
 厳しい繊維業界の中で、彼は会社の存続を賭けて奮闘してきました。紆余曲折はあったものの、会社は何とか順調に発展し、十九年前に彼は引退しました。彼もまた子宝に恵まれませんでしたが、引退後は妻と二人で悠々自適の生活を送り、それなりに充実した晩年を過ごしてきました。
 しかし、妻が他界すると一挙に淋しさと孤独感が襲ってきたのでした。
 彼が当社にやって来た時、私達にこう言いました。
 「彼女達を生んだ女性は現在なら九十九歳か百歳くらいになっていると思います。その人は既に亡くなっている可能性もありますが、彼女達の消息だけは是非とも知りたいと願っているんです。彼女はおそらく七十五、六歳だと思います。もし、彼女自身も亡くなっているんでしたら、その子供達を探してほしいのです」 私は彼の願いを十分理解できました。しかし、唯一の手掛かりであった、彼女が嫁いだ小間物問屋が昭和二十年代に離散しているのであれば、易い調査だとは決して思われませんでした。 唯一の方法は役所に掛け合うしかありません。私達は依頼人の委任状を得て、すぐさま役所に出向いたのでした。
 私達は依頼人の委任状を得て、役所に出向きました。彼女が依頼人の養父の娘であることは間違いないのですが、彼女は養父の子供として今は籍が入っていないため、依頼人と彼女の関係は戸籍上、全く赤の他人となります。ですから、いくら委任状を得ているからと言っても、私としても役所側が「ハイ、そうですか」と易く彼女の籍を見せてくれるとは思っていませんでした。
 結果はやはり予想どおりでした。私達は役所に日参することになりました。依頼人と彼女の関係、結婚前に彼女は一旦養父の籍に入っていること、それに依頼人の心情を懇々と説明したのでした。
 何回目かにスタッフが出向いた時、いつもの係員の上司が対応に現れ、こう言いました。
 「原則的にはお教えすることはできませんが、事情も理解できるので調べてみましょう。但し、戸籍自体はお見せできませんので、こちらで調べてお教えさせていただきます。養父という方の本籍から彼女の嫁ぎ先の本籍を調べ、その上で戸籍附票を見てみましょう」 戸籍の附票というのは、その人の住所地の変遷が記載されたものでした。
 役所はまず依頼人の養父の本籍から改正原戸籍を見、彼女が嫁いだ先の本籍を確認してくれました。次いで、その嫁ぎ先の本籍の管轄の役所に連絡を入れ、彼女の戸籍の附票を取り寄せてくれました。 こうして、彼女の消息が明らかになってきました。 彼女はまだ健在で、現在は宇治市に居住していました。夫が戦死した後は、三人の子供を立派に育て上げ、今は長男夫婦と孫達と同居していました。
 ところが、ここで思わぬことが発見されたのです。依頼人は養父の子供達は二人だと言っていましたが、実はその下にまだ二人の子供がいて、合わせて四人だったのです。これは、依頼人自身も知らない事実でした。 この内容を報告すると、依頼人は大層喜んでくれ、特に彼女がまだ健在だということには大変感激していました。
 「宇治と言えばそれ程遠くはありません。早速にも連絡を取って、会いに行きたいと思います。あれから五十年以上も経って、お互い年を取りましたが、逆にこの年になって、身内の消息が掴め、本当に嬉しい限りです」
 彼は最後にそう言ってくれたのでした。

<終>

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