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単なる娘の家出ではなく・・・(4) | 秘密のあっ子ちゃん(122)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

 私と依頼人(62歳)は彼女(35歳)からの電話を待っていましたが、最初の無言電話が入った後は何の反応もありませんでした。 しびれを切らせた依頼人は、今度はこんなことを言ってきました。
 「もう一度、尋ね人広告を出そうと思うんですけど、どうでっしゃろ? 今度は『情報をくれた人には報奨金を出す』とも書こうと思うんですけど……」
 「そうですねぇ……。ダメだとは申しませんが、『報奨金を出す』と書けば、かなりガセネタも多いと思いますよ」
 私は答えました。しかし、この時点では他に有効な手段がなく、依頼人のこの案を私は全面的に否定することもできませんでした。
 結局、私達は依頼人の要望通り、「情報提供者には報奨金を出す」と付け加えて、再度、九州の新聞に尋ね人広告を出す手配をしたのでした。
 広告が掲載された直後から、依頼人宅へ電話が入り始めました。しかし、多くはあいまいな内容のもので、私達が動くには至らない情報ばかりでした。
 依頼人はすぐにでも九州に出向きたいと言っていましたが、私はそれを押し止どめました。親として藁をもすがる想いで、どんな些細な情報でも受けていた依頼人のはやる気持ちは十分理解できますが、そんな情報だけで動いていたのでは、振り回されるだけの徒労に終わるのが目に見えていたからです。
 ところが、何本目かの電話が入った時、依頼人は「今度は是非とも確認に行く」と言い出しました。
 「電話をくれた人の話によると、柳川のパチンコ店で見たと言うんです。今も働いているらしいですわ。新聞に載っていた写真の女性に間違いないと断言してはります!」
 依頼人は勢い込んでそう言いました。
 そもそも、パチンコ店は「家出人」については慣れており、捜索には協力的で、私達は既に九州全域の遊戯組合に尋ね人の手配を済ませていました。ですから仮に彼女が勤めだせば、必ず連絡をもらえることになっていたのです。
 にもかかわらず、今回、依頼人宅へ入った情報は「それらしい人が柳川のパチンコ店にいる」というものでした。
 “それらしい人”というのは五万といるものです。私の長年の勘では、この情報も「本人ではなく、人違い」というものでした。
 しかし、今回、依頼人は「どうしても柳川へ行く」と言って引き下がりません。親として居ても立ってもいられない依頼人の気持ちは、私も十分理解できますので、とりあえずスタッフが同行して柳川へ行くことにしました。
 結果は「案の定」と言うか、やはり人違いでした。 「いやぁ、はやる気持ちを押さえて、パチンコ屋に入り、一瞬見ただけで人違いやというのが分かりましたわ」
 依頼人自身も苦笑しながら、私にそう報告しました。
 その後、情報は引き続き入ってきました。依頼人とスタッフは更にもう一度だけ九州に出向きましたが、それも人違いという結果に終わりました。
 そして、そのうち、依頼人宅へ入ってくる情報も少なくなっていったのでした。
 新聞の尋ね人広告からの情報も次第に少なくなってきたある日、思わぬ情報が入ってきました。
 それは、彼女の同僚であり、駆け落ち相手の男性の友人であった人物からのもので、二人が行方不明になってから初めて、彼女からの葉書が届いたというものでした。
二人の居所は全く知らないと言い張っていたこの友人に対して、依頼人は以前、「後で蓋を開けてみて、あんたが知っていたと分かったら、承知せんからな!」と声を荒げて言ったものです。彼はそれが余程応えたらしく、早速、依頼人と私達にこの情報を連絡してきたのでした。
 その葉書にはこう書かれていたと言います。
 「いろいろご迷惑をかけていると思います。申し訳ございません。私達は元気にやっています。いずれはきっちりしないといけないと思っておりますが、もうしばらくはそっとしておいて下さい。また改めてご連絡させていただきます」
それだけしか書かれていませんでした。送り先の住所は一切記載されていず、彼女は本来の苗字ではなく、駆け落ち相手の男性の姓を使っているということでした。
 「消印はどこになっていますか?」
私は友人に確認しました。 「“小倉北”となってますねぇ」
 彼は答えました。
彼女がこの葉書を移動途中に投函したとは考えにくく、二人は北九州市に居住している可能性が強くなってきました。
 私達はすぐに北九州市の調査を開始したのでした。 調査を初めて三週間が経った頃、一つの情報が入ってきました。
 それは、北九州市小倉北区のある文化住宅の家主からのものでした。その家主の言うには、ひと月程前に所有の文化住宅の一室に入居した夫婦者の妻が、スタッフの差し出した写真にそっくりだとのことでした。聞くと、入居名儀は男性の方の名前を使用していました。
 「ウチは安い文化ですので、住民票とか保証人の印とかはいただいておりませんが、この人に間違いないですよ」
家主はスタッフにはっきりとそう断言しました。やっとのことで捕まえることができると、スタッフ達は色めき立ったのでした。
 依頼人もご主人も、すぐにでも彼女と話をつけたいと、今回も是非とも北九州市に出向きたいと言いました。
 「第三者である私達が話すよりご主人やお父様が話された方がいいですから、本人さんで間違いなければ、その方が越したことはありません」
 私は二人が北九州へ行くことに同意しました。しかし、こう付け加えました。 「でも、万が一、家主さんの間違いということもありますから、事前に確認した方がいいと思いますよ」 そんなやり取りがあって、二人が北九州に出向く前日、スタッフが張り込んで、家主が言う人物が彼女本人であるかどうか、確認を行うことになりました。
 ところが、彼女が仕事から帰宅するであろうと思われる夕刻から張り込んでも、彼女は姿を現さなかったのでした。それは深夜に及んでも同様で、駆け落ち相手の男性も姿を現さないのでした。
 近くで待機していた私は、その報告を受けるとすぐに依頼人に出発を待つように連絡しました。
 またもや、様子がおかしいと感じた私は大阪へ連絡を入れ、依頼人とご主人に出発を待つように伝えました。スタッフには念のため、翌日の早朝五時には張り込みを開始するように指示しました。
 私自身も気が気ではなく、ホテルに待機しておれず、五時前には現場に到着していました。
 それは一月の末のこと。その年の冬の中でも一番の冷え込みがあった日でした。いくら九州といえども、その寒さは尋常ではありませんでした。五分も立っていれば凍えそうになる中、私達は張り込みを続けていました。
 こういった場合、一番困るのはトイレです。日中なら、交替要員に任せて、喫茶店やパチンコ屋、ガソリンスタンド、はたまた近くにある病院などで用を済ませることはできますが、午前五時という時間ではどこも開いていません。ただただ、我慢です。
 午前中一杯、私達は張り込みを続けましたが、その部屋の動きは何もありませんでした。
 そうこうしていると、突然、依頼人が現れたのです。居ても立ってもいられず、一番の飛行機でやってきたのだと言います。
 その日、午前中一杯かけて張り込んでも、その部屋の動きはありませんでした。私達が彼女を捕まえれるという直前になって、彼女が姿を消したのはこれで三回目です。私はこれまでに感じていた“内通者の存在”を確信しました。依頼人に私は今度はきっぱりとそのことを伝えました。今回もこういう事態になっては、依頼人ももう反論はできませんでした。
 私達は家主に彼女達が引っ越すような動きがあればすぐに連絡してくれるように頼んで、大阪に引き揚げました。そして、依頼人には家族に今回は空振りだったこと、もう自分も疲れてきたので彼女から連絡が入るまで放っておこうと思うというようなことを言うようにアドバイスしたのでした。 それから一週間が経った頃、私は家主に連絡を入れ、あの部屋の状況を尋ねました。
 「私も注意して見てたんですよ。あなた達が来られてから、三日程して戻って来られてますよ」
 家主はそう教えてくれました。私は家主に私からの問い合わせを彼女達にはくれぐれも伏せておいてほしいと釘をさしました。
 「ええ、ええ。ご事情はよく分かっておりますので、その辺のところは承知しておりますよ」
 家主はそう答えてくれました。
 次に、私は依頼人に、彼女達が間違いなく居ることが確認できれば、すぐに連絡を入れるので、動ける準備をしておいてほしいと伝えました。
 「たぶん、婿はもう休みが取れないと思いますので、私一人が行くことになると思いますわ」
 依頼人は言いました。
 「お一人でも構いませんが、お父さんだけではどうしても感情的になると思いますので、誰か信頼のおける第三者がご一緒の方がいいですねぇ」
 私はそう提案しました。 「そうでんなぁ。『信頼できる人』と言うと、アイツの叔父になるんですけど、仲人もしてくれた者が一番でっしゃろなぁ。弟もずっと心配してくれてましたさかい、頼めばすぐに来てくれると思いますが……」
 依頼人はそう答えました。

<続>

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