これは1994年に出版された、佐藤あつ子著「初恋の人、探します」(遊タイム出版)に収録されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。
翌日の二月十四日は冬晴れだった。
学校はちょうど入試日に当たっており、授業はない。安希は智子と由香に頼んで、一緒に駅まで来てもらった。いつもより一本早い電車に乗り、ホームで近藤さんを待ちぶせした。
その日の電車はすいていた。安希たちの学校の小学校から短大までの学生が抜けると電車の乗客は半減していた。
近藤のグループがいつものようにホームに降りてきた。彼らはホームの端で横一列に並んで立っている小学生三人組を見て不思議そうな顔をしている。
「あのお、これ」
チョコレートの包みと手紙を近藤に差し出した。
周りの友人たちが「ヒュー、ヒュー」と唇を鳴らしてはやしたてる。
近藤は一瞬驚いた表情になり、チョコレートと手紙を受け取りながら聞いてきた。
「君、いくつ?」
「十二」
「わっかいなあ」
にっこりと笑いながら言う。
「こんなもの、僕がもろていいの?」
「うん。手紙を読んでもらえばわかる……」
「どうしてボクに?」
「好きやから」
「え!?」
周りのギャラリーは今度、「おー」とどよめいた。
彼らが改札を出ていくと、智子と由香がそばへ駆け寄ってきた。
「よかったね。受け取ってもらえて」
「うん。ありがとう」
翌日は授業が再開した。
安希はいつもの電車に乗った。
近藤たちが二両目の車両に入ってくると、智子が安希をつついた。
彼はまっすぐ安希に近づいてくると
「これ、昨日のお返し」
と言って、小さな包みを安希に渡した。
安希は「はい」とだけ言って包みを受け取ったきり、後は何も言えずにうつむいてしまった。
改札を出るとすぐ学校に向かって走り出し、そのまま教室に駆け込んだ。
「安希!そんなに、走らんでも!」
智子と由香が後ろから叫んでいたが、振り返りもせずとにかく走った。
教室の自分の机に座ると、ひとまず息を整えてから、さっき近藤からもらった紙包みをそっと開いてみた。
中身は鉛筆が三本と消しゴム。そして、手紙が添えられていた。
「昨日はありがとう。これでしっかり勉強してね。
それから、僕には心に決めた人がいます。ごめん」
やっと追いついて教室に入ってきた智子と由香が、安希の横からその手紙をのぞき込んだ。
「安希、これは失恋やねんで」
「そうや、フラれたんやで」
二人はニコニコしている安希の顔を見ながら不思議そうに言った。
「いいんやもん」
安希は鉛筆と消しゴムをていねいに包み直し、近藤からの手紙と一緒にランドセルの一番前にそっと入れた。まるで宝物を扱うように。
安希はうれしさでいっぱいだった。
自分の気持ちが近藤に伝わったことがうれしかったのだ。
バレンタインデーにチョコレートをもらっても、大抵の男の子はそのままほうっておくのが普通だ。けれど彼はわざわざ「お礼」と言って鉛筆と消しゴムをくれた。彼から何かをもらえたという、そのことがうれしかった。
「好きな人がいる」ことなどまったく気にならなかった。
「当り前や。好きな人くらい、いるわ」
その日一日中、安希は授業どころではなかった。
春になり、安希は中学生になった。
新学期からも、乗る電車は同じだ。近藤たちともずっと一緒だった。
しかしバレンタインデーのあの日以来、安希は近藤と二言も言葉を交わしていない。キキャーキャー騒いで「子供だなあ」と思われたくなかった。
そんなことをしたら嫌われる。
今はこうして見つめていられるだけで満足だ。
近藤からの手紙を時々取り出して眺めては、そう思った。しかしお守りのようにしていつも持ち歩いていたその大切な手紙も、この前父親に見つかって取り上げられてしまった。いくら言っても返してくれない。あげくの果ては大げんかだ。
あと一年で近藤さんも高校を卒業してしまうだろう。そうしたらもう会えない。
覚悟はしていたが、やはり電車の中で彼の姿を見かけなくなると、いいようのない淋しさが襲ってくる。手紙も取り上げられたままだ。
先輩のつてをたどり、やっとのことで近藤の進学先を聞き出した。
それが精いっぱいだった。
あれから何回か恋をした。プロポーズされ「結婚しようかな」と思った人もいる。不倫も一度した。安希は二十五歳になっていた。
しかし、年を重ねても近藤はずっと安希の心の中にあった。
恋人ができるたび、近藤と比べていた。新しい恋にのめり込むことができなかった。
阪急電車の宝塚線に乗るたび、近藤のことを思い出してしまう。
「もう一度会いたい。大人になった私を見てほしい」
同時に「どうせ探しだすのなんか無理だ」そんなあきらめもあった。
ある日、何げなく見ていたテレビで初恋の人を探してくれる会社があるということを知った。
画面には番組レポーターの初恋の人との再会シーンが映し出されていた。
「こんな事もあるんや!」
安希は思わず叫んでいた。
<続く>
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