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思いもよらない悲報が…(3)| 秘密のあっ子ちゃん(156)

 これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

泉州の紡績工場の同僚だ った彼女が九州の実家へ帰 って九年。依頼人が訪ねたときは、彼女の家は立ち退 きになっていて、すでにどこかに引っ越していまし た。
近所の人に「どこへ越し たかは聞いてませんネ・・・」 と知らされたとき、『仕方がない』とあきらめていた 彼ですが、ふとしたときに 彼女のことを思いだすのだ そうです。
それが二度、三度と重な るうちにどうしても気に掛 かって仕方なくなったと言います。 彼は彼女に対して淡い恋 心を抱いてはいたのでしょうが、それにも増して無我 夢中で働いた青春時代の懐 かしい思い出として彼女の 存在があったようです。
「おそらく結婚して子供 の一人や二人は いるでしょう が、どんな暮ら しをしているか 気になります。 もし消息が分か ったら、できたら 会って話が したいのです」 彼の依頼の動 機はこういうことでした。 私たちはこの依頼を引き受け ました。
しか し、手掛かりと 材料 が少ない。 泉州の紡績工 場、彼女が通っていた夜間高校、そして九州の実家があった住所、分かっていることといえばこれくらいしかなかったのです。

<続>

思いもよらない悲報が…(2)| 秘密のあっ子ちゃん(155)

 これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。
その依頼人は四十二歳の男性でした。
彼が探したいという人は、現在なら三十九歳になる女性で、二十四年前には泉州の紡績工場で共に働いた同僚でした。
二人は勤務の部署は違っていたものの、会社で催されたソフトボール大会をきっかけに親しくなっていきました。
そして、次第に彼女から勤務と勉学の両立の苦しさや親元からひとり離れて働いていることの寂しさなど、いろいろと相談を受けるようになったのだそうです。
四年後、彼女は夜間高校を卒業したのを機会に退職し、九州に戻っていきましした。
その後しばらくの間、彼女から何通かのはがきは届いていたそうですが、それもなくなり、そして彼自身が転職してからは、全く音信が途絶えてしまったのだといいます。
十五年前、依頼人は仕事の関係で九州に行ったときに彼女の実家を訪ねました。しかし、その辺りは立ち退きになっており、近所で聞いても「どこへ行ったか分からない」と言われたということでした。

<続>

思いもよらない悲報が…(1)| 秘密のあっ子ちゃん(154)

 これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

高齢者の方の依頼で、戦前、戦中に知り合った人を捜されている場合、やっと捜し当てても、その相手が既に死亡されていることがあります。
そんな時は、通常ご遺族の住所とかお寺と戒名とかを報告します。
しかし、何十年も再会を心待ちにされていた依頼人 に対してその事実を報告するのは辛いものです。
「思いもよらない悲報でした。今はまだぼう然とし ておりますが、気持ちが落ちつけばお寺の方へお参りに行きたいと思って います」といったような手紙がきたりし て、私も本当に残念 な思いをします。
それにも増して、 現在三十歳代、四十 歳代の相手を捜していて、その人が死亡していると分かったときの依頼人は、更にショックが大きい のです。
依頼人にとってみれば、相手が生きているということは当然の前提であって、 その上で「幸せに暮 らしているのかが知りたい」「できれば再会したい」ということなのですから。
四十二歳のその男性の場合も報告書を作成しながら私は言葉も出ない思いをしました。

<続>

38年前に別れた日本女性を…(2)| 秘密のあっ子ちゃん(153)

 これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

ビルがアメリカに帰国し てからは、手紙のやりとりで連絡を取り合っていた二人。
その文通は一年以上も続きました。
しかし、一年半が過ぎようとしたころ、”I’ll write you again”と言ってきたのを最後に、圭子さんからの手紙がぷっつり来なくなったのだそうです。
ビルは音信を求めて、何度も彼女に手紙を書きました。
しかし、彼が出した何通 目かの手紙がついに『宛先不明』で戻ってきたので す。
彼は圭子さんを捜しに、 すぐにでも日本へ飛んで行きたくてしかたなかったそうですが、一九五六年当 時、そう簡単に日本へ来ることもできない・・・。
一年が経ち、二年が経ち、そして、あれから三十六年。
二十六歳だったビルは六十二歳になりました。その間、彼は結婚し子供にも恵 まれ、円満な家庭を築けたと言います。
彼は昨年、長年勤めた会 社を退職したのを機会に、 圭子さんを捜そうと思いたったのだそうです。
いや、三十六年間ずっと、『いつか、圭子さんを捜そう』と思い続けていたのだと言います。
『彼女がどうなったのかを知りたいのです。 彼女の今の生活を邪魔するつもり はありません。ただ、彼女が幸せでいてくれてさえす のればそれでいいのです』
と、ビルは言いました。ビルは一週間前、圭子さんと別れて初めて、実に三十六年振りに来日しました。
そして独力で、二人で過ごした座間のアパートの近 辺や、彼女が手紙で書いてよこした住所のあたりに行ったのだそうです。
しかし、なにぶんにも日本語をほとんど話すことができない。その上、三十六 年も過ぎた日本は昔の面影 もなく、彼には右も左もわからない。
一週間ただやみくもに歩き回っただけで、何の手がかりもつかめなかったそうです。
帰国便のチケットは明日付になっている。『せっかく日本まで来たのに、何一つ分からず、このまま帰らなければならないのか』
絶望的な気持ちが深くなる中、『それでも』と当時 の古い地図を見るために図 書館に行った時、ジャパンタイムズに載っていた当社の記事を目にしたのだといいます。
『記事を見た時は、心臓が止まりそうに嬉しかった』とビルは言いました。
当社が大阪にあると分かった彼は、早速、在阪の友人に連絡を取り二人で訪ね てきた、というわけなのです。
ビルは圭子さんの調査を 当社に任せ、その日の午後 の便で帰国していきました。
私達は、すぐに彼女の手紙に書いてあった住所に聞き込みに入りました。
運よく、その辺りは古く から住んでいる地の人 が多く、圭子さんのことを 覚えてくれている人が何人かいました。
しかし、『一時伯父さんの家に身を寄せていて、そこから嫁いだ』というばかりで、それ以外のことはど の人もみんな歯切れが悪いのです。

近所の人の話から、圭子さんはビルが帰国して二年後に結婚したということが 分かりました。しかし、それ以上のこととなると、みんな口を濁すのです。
私達は、『どうも、みんな何か隠しているな』と感じていました。
そんな中、あるおばさんが、『実は、これはみんなでずっと口にしなかったことですが、そのアメリカの人がそうおっしゃってるの なら』と、やっと全てを話してくれました。
それによると、ビルが帰 国して二年近くたったこ ろ、伯父さんの家に預けられていた圭子さんに縁談があり、あまり乗り気ではなかった彼女を『三十歳も近 いから』『あの男のことは忘れろ』と伯父さんが説きふせ、ビルとのことを伏せて嫁に出したというので す。
『当時は、外国人と同棲していたというだけで、大 変でしたしネ・・・』と、そのおばさんはつけ加えました。
私は、その内容と『彼女 は今、幸せに暮らしている そうです。今の彼女のためには、もうこれ以上探さな い方がいいと思いますが ・・・』ということをアメリカのビルに伝えました。
“よくわかりました。三 十六年間の胸のつかえがおりました。 Thank you! “というビルの手紙が来たのはそれからふた月 ほどしてからでした。

<終>