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単なる娘の家出ではなく・・・(4) | 秘密のあっ子ちゃん(122)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

 私と依頼人(62歳)は彼女(35歳)からの電話を待っていましたが、最初の無言電話が入った後は何の反応もありませんでした。 しびれを切らせた依頼人は、今度はこんなことを言ってきました。
 「もう一度、尋ね人広告を出そうと思うんですけど、どうでっしゃろ? 今度は『情報をくれた人には報奨金を出す』とも書こうと思うんですけど……」
 「そうですねぇ……。ダメだとは申しませんが、『報奨金を出す』と書けば、かなりガセネタも多いと思いますよ」
 私は答えました。しかし、この時点では他に有効な手段がなく、依頼人のこの案を私は全面的に否定することもできませんでした。
 結局、私達は依頼人の要望通り、「情報提供者には報奨金を出す」と付け加えて、再度、九州の新聞に尋ね人広告を出す手配をしたのでした。
 広告が掲載された直後から、依頼人宅へ電話が入り始めました。しかし、多くはあいまいな内容のもので、私達が動くには至らない情報ばかりでした。
 依頼人はすぐにでも九州に出向きたいと言っていましたが、私はそれを押し止どめました。親として藁をもすがる想いで、どんな些細な情報でも受けていた依頼人のはやる気持ちは十分理解できますが、そんな情報だけで動いていたのでは、振り回されるだけの徒労に終わるのが目に見えていたからです。
 ところが、何本目かの電話が入った時、依頼人は「今度は是非とも確認に行く」と言い出しました。
 「電話をくれた人の話によると、柳川のパチンコ店で見たと言うんです。今も働いているらしいですわ。新聞に載っていた写真の女性に間違いないと断言してはります!」
 依頼人は勢い込んでそう言いました。
 そもそも、パチンコ店は「家出人」については慣れており、捜索には協力的で、私達は既に九州全域の遊戯組合に尋ね人の手配を済ませていました。ですから仮に彼女が勤めだせば、必ず連絡をもらえることになっていたのです。
 にもかかわらず、今回、依頼人宅へ入った情報は「それらしい人が柳川のパチンコ店にいる」というものでした。
 “それらしい人”というのは五万といるものです。私の長年の勘では、この情報も「本人ではなく、人違い」というものでした。
 しかし、今回、依頼人は「どうしても柳川へ行く」と言って引き下がりません。親として居ても立ってもいられない依頼人の気持ちは、私も十分理解できますので、とりあえずスタッフが同行して柳川へ行くことにしました。
 結果は「案の定」と言うか、やはり人違いでした。 「いやぁ、はやる気持ちを押さえて、パチンコ屋に入り、一瞬見ただけで人違いやというのが分かりましたわ」
 依頼人自身も苦笑しながら、私にそう報告しました。
 その後、情報は引き続き入ってきました。依頼人とスタッフは更にもう一度だけ九州に出向きましたが、それも人違いという結果に終わりました。
 そして、そのうち、依頼人宅へ入ってくる情報も少なくなっていったのでした。
 新聞の尋ね人広告からの情報も次第に少なくなってきたある日、思わぬ情報が入ってきました。
 それは、彼女の同僚であり、駆け落ち相手の男性の友人であった人物からのもので、二人が行方不明になってから初めて、彼女からの葉書が届いたというものでした。
二人の居所は全く知らないと言い張っていたこの友人に対して、依頼人は以前、「後で蓋を開けてみて、あんたが知っていたと分かったら、承知せんからな!」と声を荒げて言ったものです。彼はそれが余程応えたらしく、早速、依頼人と私達にこの情報を連絡してきたのでした。
 その葉書にはこう書かれていたと言います。
 「いろいろご迷惑をかけていると思います。申し訳ございません。私達は元気にやっています。いずれはきっちりしないといけないと思っておりますが、もうしばらくはそっとしておいて下さい。また改めてご連絡させていただきます」
それだけしか書かれていませんでした。送り先の住所は一切記載されていず、彼女は本来の苗字ではなく、駆け落ち相手の男性の姓を使っているということでした。
 「消印はどこになっていますか?」
私は友人に確認しました。 「“小倉北”となってますねぇ」
 彼は答えました。
彼女がこの葉書を移動途中に投函したとは考えにくく、二人は北九州市に居住している可能性が強くなってきました。
 私達はすぐに北九州市の調査を開始したのでした。 調査を初めて三週間が経った頃、一つの情報が入ってきました。
 それは、北九州市小倉北区のある文化住宅の家主からのものでした。その家主の言うには、ひと月程前に所有の文化住宅の一室に入居した夫婦者の妻が、スタッフの差し出した写真にそっくりだとのことでした。聞くと、入居名儀は男性の方の名前を使用していました。
 「ウチは安い文化ですので、住民票とか保証人の印とかはいただいておりませんが、この人に間違いないですよ」
家主はスタッフにはっきりとそう断言しました。やっとのことで捕まえることができると、スタッフ達は色めき立ったのでした。
 依頼人もご主人も、すぐにでも彼女と話をつけたいと、今回も是非とも北九州市に出向きたいと言いました。
 「第三者である私達が話すよりご主人やお父様が話された方がいいですから、本人さんで間違いなければ、その方が越したことはありません」
 私は二人が北九州へ行くことに同意しました。しかし、こう付け加えました。 「でも、万が一、家主さんの間違いということもありますから、事前に確認した方がいいと思いますよ」 そんなやり取りがあって、二人が北九州に出向く前日、スタッフが張り込んで、家主が言う人物が彼女本人であるかどうか、確認を行うことになりました。
 ところが、彼女が仕事から帰宅するであろうと思われる夕刻から張り込んでも、彼女は姿を現さなかったのでした。それは深夜に及んでも同様で、駆け落ち相手の男性も姿を現さないのでした。
 近くで待機していた私は、その報告を受けるとすぐに依頼人に出発を待つように連絡しました。
 またもや、様子がおかしいと感じた私は大阪へ連絡を入れ、依頼人とご主人に出発を待つように伝えました。スタッフには念のため、翌日の早朝五時には張り込みを開始するように指示しました。
 私自身も気が気ではなく、ホテルに待機しておれず、五時前には現場に到着していました。
 それは一月の末のこと。その年の冬の中でも一番の冷え込みがあった日でした。いくら九州といえども、その寒さは尋常ではありませんでした。五分も立っていれば凍えそうになる中、私達は張り込みを続けていました。
 こういった場合、一番困るのはトイレです。日中なら、交替要員に任せて、喫茶店やパチンコ屋、ガソリンスタンド、はたまた近くにある病院などで用を済ませることはできますが、午前五時という時間ではどこも開いていません。ただただ、我慢です。
 午前中一杯、私達は張り込みを続けましたが、その部屋の動きは何もありませんでした。
 そうこうしていると、突然、依頼人が現れたのです。居ても立ってもいられず、一番の飛行機でやってきたのだと言います。
 その日、午前中一杯かけて張り込んでも、その部屋の動きはありませんでした。私達が彼女を捕まえれるという直前になって、彼女が姿を消したのはこれで三回目です。私はこれまでに感じていた“内通者の存在”を確信しました。依頼人に私は今度はきっぱりとそのことを伝えました。今回もこういう事態になっては、依頼人ももう反論はできませんでした。
 私達は家主に彼女達が引っ越すような動きがあればすぐに連絡してくれるように頼んで、大阪に引き揚げました。そして、依頼人には家族に今回は空振りだったこと、もう自分も疲れてきたので彼女から連絡が入るまで放っておこうと思うというようなことを言うようにアドバイスしたのでした。 それから一週間が経った頃、私は家主に連絡を入れ、あの部屋の状況を尋ねました。
 「私も注意して見てたんですよ。あなた達が来られてから、三日程して戻って来られてますよ」
 家主はそう教えてくれました。私は家主に私からの問い合わせを彼女達にはくれぐれも伏せておいてほしいと釘をさしました。
 「ええ、ええ。ご事情はよく分かっておりますので、その辺のところは承知しておりますよ」
 家主はそう答えてくれました。
 次に、私は依頼人に、彼女達が間違いなく居ることが確認できれば、すぐに連絡を入れるので、動ける準備をしておいてほしいと伝えました。
 「たぶん、婿はもう休みが取れないと思いますので、私一人が行くことになると思いますわ」
 依頼人は言いました。
 「お一人でも構いませんが、お父さんだけではどうしても感情的になると思いますので、誰か信頼のおける第三者がご一緒の方がいいですねぇ」
 私はそう提案しました。 「そうでんなぁ。『信頼できる人』と言うと、アイツの叔父になるんですけど、仲人もしてくれた者が一番でっしゃろなぁ。弟もずっと心配してくれてましたさかい、頼めばすぐに来てくれると思いますが……」
 依頼人はそう答えました。

<続>

単なる娘の家出ではなく・・・(3) | 秘密のあっ子ちゃん(121)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

三日間とも彼女(三十五歳)は銀行には現れず、張り込み調査では何の収穫もありませんでした。しかし、私とご主人(三十七歳)の聞き込みの方は重要な情報を得ることができたのです。 それは、あるビジネス旅館でのこと。三日前まで彼女と男性が泊まっていたというのです。
「ええ。確かにこの人でしたよ。男の人? ああ、この人です」
私が差し出した彼女の写真と男性の写真を見て、旅館の女将さんは答えました。 「ご夫婦なんでしょ? そう言っておられましたけど、やはり違うのですか?こういう商売をしていると、たまにあるんですよ。駆け落ちなんかが……。そうですねぇ、かれこれひと月ぐらいおられましたよ。出ていかれた日も引き続き泊まられる予定でしたが、急に事情が変わったとおっしゃって、朝一番に出られました。次に向かわれた所? さぁ? それは何もおっしゃってなかったですから、分かりません」
この話を聞いて、私はすぐに尾行班を銀行から引き揚げさせました。彼女は二度と大牟田市には現れないことを確信したからです。 それにしても、何故彼女達が急に移動したのか、私にはそのことが疑問に残りました。
私達が大牟田から引き揚げて一週間が経った頃、再び銀行から連絡が入りました。彼女(三十五歳)が今度は福岡支店から出金しているという情報を伝えてくれたのです。大牟田から移動の過程で福岡支店から出金したとも考えられますが、彼女の親友が福岡の実家に戻っていることを考え合わせれば、彼女は福岡にいる可能性が高いと思われました。
今度はご主人(三十七歳)だけではなく、居ても立ってもいられなくなっている依頼人(彼女の父、六十二歳)までもが一緒に行くと言い出しました。私は二人の同行をあっさりと認めました。
今回は彼女の親友にも直接会って、本当に彼女から何の連絡も入っていないのか、その真偽を確認する必要がありました。というのも、大牟田へ行く直前に、ご主人がその友人に対して「大牟田に探しに行くので、時間があればそちらにも回って話をしたい」と伝えており、彼女が大牟田から慌ただしく移動していることを考えれば、その友人が彼女に情報を漏らしたとも考えられるからです。
その友人に会いに行くには、見ず知らずの第三者の私だけよりはご主人やお父さんである依頼人が一緒の方が効果があると思えました。それで、私は二人の同行を認めたのです。
私は依頼人(62歳)とご主人(37歳)と共に、今度は福岡へ向かいました。 到着するとすぐに、彼女が出金した銀行の福岡支店に出向きました。というのも、依頼人が彼女の現状の一端でも知りたいと強く希望したからです。
「カードで出金しているんでしたら、防犯カメラに映ってませんやろか? やつれてへんか心配ですし、どんな服装しているのかを見れば今の生活状態が少しは分かると思いますんで……」
夫を捨てて他の男と駆け落ちをしてしまった彼女に対する怒りを持ちながらも、娘の身の上を心配する親心は私も十分理解できました。 対応に出てくれた支店長は、最初は「そういった前例がないので」と渋っていましたが、私と依頼人の熱意に負けたのか、最後には「今回だけの特例とさせて下さいネ」と念を押しながらも防犯カメラに映ったビデオを見せてくれたのでした。
彼女が出金した日のビデオ全てをチェックしていると、午後の閉店間際に彼女は姿を現していました。映像は少し不鮮明でしたが、彼女はやつれた様子もなく元気そうで、依頼人はひと安心したのでした。
銀行の支店長の好意で、防犯カメラに映った彼女の元気そうな姿を見ることができた依頼人はひと安心したのでした。
私達はその足で、福岡の実家に戻っている彼女の親友に会いに行きました。
「ご主人から電話でだいたいの事情を聞いてびっくりしました。別れるとか、離婚するとかを相談していたのは私の方で、彼女からそんな話は一度も聞いたことがありませんでしたから」 友人はご主人(37歳)と彼女の父である依頼人に向かってそう言いました。すると、依頼人はこう水を向けたのです。
「娘とあんたは大親友やということは聞いています。学生時代からの付き合いですやろから、何かあればあんたに連絡すると思ってますねんけど……」
「いえ、それが、今回は全く連絡がないんです。今度も福岡へ来ていると聞いて、なんで連絡してくれへんのやろうと思っているくらいです」
「それは本当でっしゃろな!? どう考えても、あんたには連絡してると思いますねんけど?」
この少し威圧的な依頼人の問いにも、友人はきっぱりと否定したのでした。
銀行で防犯カメラのビデオを見せてもらうことと彼女の親友に会うという目的が達成したため、私は依頼人とご主人に一足先に大阪へ帰ってもらうことにしました。そして、スタッフに指示して、今度は福岡市内で彼女が行きそうな所を、写真を持って軒並みに聞き込みに入るように指示したのでした。
スタッフは五日間、足を棒にして聞き込みに入りましたが、これと言った収穫はありませんでした。
ところが六日目、スタッフの一人がある土木作業員の手配・仲介をしている宿舎で彼女らしい人物がいたという情報を入手してきました。
その宿舎は年配の夫婦が経営しており、作業員に現場の斡旋と賄いの面倒を見ているところでした。
私はすぐにそのスタッフと共に宿舎へ向かいました。 「ええ。この人でしたよ。間違いありません」
奥さんは私が指し示した写真を見て、はっきりとそう言いました。
「ええ。この人でしたよ。間違いありません」
福岡市内で土木作業員向けに現場の斡旋と賄いの宿舎を経営している奥さんははっきりとそう答えました。 「夫婦ものでしたよ。どちらかと言うと、ご主人より奥さんの方が働き者でしたねぇ」
「で、ご主人の方はこの人でしょうか?」
私は駆け落ち相手の男性の写真を指し示しました。 「ええ、ええ。この人ですよ。ひと月程前に来られましてね、次の現場も決まっていたんですけど、二日前に急用ができたとか言われて出て行かれましたよ」
「えっ?! 二日前ですか?」
またしても彼女達は私達が突き止める直前で姿をくらましていました。私はどうもクサイと感じました。偶然にしてはできすぎているのです。
大阪へ帰ると、私は依頼人にこの状況を報告しました。そして、こう言ったのです。
「どうも怪しいですねぇ。これはどう考えても内通者がいるとしか思えません。大牟田の件や福岡の件を知っているということは身内の方だと思いますが……それも、かなり詳しいことを知っている人ですねぇ」
「これはどう考えても内通者がいるとしか思えません」
私は依頼人(62歳)に言いました。そして、こう続けたのです。
「その内通者とは、大牟田の件や福岡の件を詳しく知っている人です。この件はどなたに話されましたか?」
「話したのは家内と下の娘だけですけど、まさか、うちの家内と娘がアイツに連絡が取る訳ありません。なにしろ、ワシがどれだけアイツのことを怒っており、どれだけ探しているのかを一番知っているのは、当の二人ですから」
依頼人は私の疑いをきっぱりと否定しました。それでも、私は自分の考えを述べました。
「そうですか。でも、情況から考えて、内通者がないとこんな動きはできませんけれどねぇ」
しかし、依頼人はこう言いました。
「ワシはあの親友が逐一連絡を取っているんだと思います」
依頼人は頑として「家内と娘に限って、そんなことをする訳がない」と言い張るのでした。私としても、何か証拠があって言っているのではなく、それは単なる経験からくる「勘」でした。そこまで依頼人に言われれば、執拗に奥さんと彼女の妹さんが怪しいとは言えませんでした。
「では、次の手立てを考えましょう」
私はそう答えました。
しかし、二回も私達に捕まる寸前で逃げ切っていることを考えれば、彼女の警戒心はかなり強いと判断せざるを得ません。おいそれと今までのように尻尾を出すとは考えられませんでした。
「この際、彼女自身の目にも触れるように、新聞の『たずね人』広告を出してみては如何ですか? 身の回りの人からも、『あんた、新聞に出ていたよ』と言われ出すと、何らかの形で接触を取ってこざるを得なくなるでしょうから」
私は彼女の裏を書く方策を提案しました。依頼人もすぐさまこの案に乗り、九州の新聞に「たずね人」広告を出すことになりました。 「但し、念のため、このことは奥さんと下の娘さんにはおっしゃらないで下さい」
私は依頼人にそう念を押しました。
私と依頼人(62歳)は、念のため、奥さんと下の娘さんには伏せて、九州地区の新聞に尋ね人広告を出すことにしました。
広告が掲載されて三日目、依頼人から電話が入りました。
「実は、昨日、無言電話がありましてな。あれは絶対アイツですわ」
依頼人は言いました。
「相手は何も喋らなかったんですか?」
「そうですねん。電話はいつも家内が出るんですけど、昨日はたまたまワシが出たんですわ。『もしもし』と言っても黙ってましたさかい、『お前か!』と言うと、ブチッと切れてしまいましてん」
「周りの雰囲気はどんな感じでしたか?」
私は尋ねました。
「静かな所からのようでしたなぁ。音楽や車の音も聞こえませんでしたから、どっかの部屋から掛けてきたんでっしゃろなぁ」
依頼人はそう言いました。 何日かしてまた電話があるかもしれないので、私達はもうしばらく様子を見ることにしました。私は依頼人に、今度電話があった時は、頭ごなしに怒るのではなく、「お前の考えを聞きたいから、一度会おう」と言うように指示したのでした。

<続>

単なる娘の家出ではなく・・・(2) | 秘密のあっ子ちゃん(120)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

依頼人(六十二歳)の娘(三十五歳)と駆け落ちした男性の奥さんはこんな話をしました。
「もともと私が離婚届に判を押したのは、『母子家庭の保護をもらうために』という主人の言い分を真に受けたからです。ですから、離婚はそのための偽装で、私達は今でも夫婦だと思っていました。一年前に離婚の話を切り出されて、主人が家に戻らなくなり、アパートを借りて一人で住むようになっても、掃除や洗濯には通っていました。だから、他に女の人が出入りしているなんて、思いもよりませんでした。二人が消えたという二日前も、私、アパートへ行って、主人と会っているんです。その時は会社を辞めるとか、どこかへ行くとかいう話は一切出ませんでした。それに、その日、主人は私を抱いたんです。それが、二日後にはこんなことになるなんて……。私、それを考えると、悲しくて、悲しくて……」
彼が住んでいたアパートは解約もされていず、荷物もそのままになっているということでした。
「家賃もかかってきますから、近々解約して荷物も引き揚げてこようと思っています」
依頼人の娘と駆け落ちした男性の奥さんは、私達に対して好意的で、いろいろな話を聞かせてくれました。というのも、「生活保護を受けるため、子供によかれと思って離婚届けに判を押した」という奥さんにとっても、ご主人を探してもらえるのは願ってもないことだったからです。
「主人の同僚で、昔から親しくしている人がいます。その人なら、何か知っているかもしれません」
奥さんは最後にそう教えてくれました。
私達はすぐにその友人に会いに出かけました。依頼人も「是非に一緒に行きたい」と言うので、同行したのでした。
訪ねて行くと、その友人はいかにも迷惑そうな顔をし、私達は随分と待たされました。やっと応対に出てきた彼は、開口一番、「自分もびっくりしている」と言いました。そして私達の質問に、「自分は何も聞かされていなかった」、「全く知らない」と、今回の二人の件には自分は一切関与していないことをくどくどと述べたのでした。
私達の心象と言えば、「彼は何かを知っている」でした。「知らない」と言い続ける彼に対して、依頼人は苛立ち、ついには「後であんたが何か知ってたということが分かったら、ただでは済まさんからな!」と声を荒げる場面もありましたが、私達はそれを押し止めて引き揚げました。彼がそう言い張るのでは、この段階ではどうしようもなかったからです。
次に、私達は駆け落ち相手の男性が、離婚後暮らしていたアパートの家主に聞き込みに入りました。
しかし、出入りの激しいアパートであること、彼自身も入居して日が浅いこと、そもそも家主自身が「家賃さえきちっと払ってくれれば後は関係ない」という考えの人で、住人それ自身には全く無関心であることなどから、「女の人は出入りしていたみたいだけれど……」ということ以外、これと言った情報を得ることはできませんでした。却って、「今月の家賃はどうなるのか?」とか、「蒸発したんなら、荷物は早く引き揚げてもらわないと困る」という苦情を私達は聞かされたのでした。
こうした「駆け落ち」の場合、蓋を開けてみれば目と鼻の先にいたということがしばしばあるのですが、男性が会社の金を使い込んでいるということを考え合わせれば、今回のケースは遠くに逃げていると考えた方が妥当でした。
人が逃げる場合、一般的には関西の人間は西へ、とりわけ九州方面へ、関東の人間は東へ、つまり東北や北海道へ逃げるという、不思議な人間の心理が調査業の中では実証されています。 ところが、「九州」だけでは範囲が広すぎ、これだけでは探しようがありません。普通、人間というのは突飛な行動はしないもので、逃げる場合も、友人がいるとか一度は訪ねたことのある地域に行くものです。しかし、今回の二人の場合、近親者に尋ねても、九州には何の縁もゆかりもなく、つい最近、彼女がご主人と一緒にハウステンボスに行ったくらいだけでした。
「万事休す」と、私が次の手立てを考えあぐねている時、幸運にも手配した銀行から連絡が入ったのでした。
それは、彼女が大牟田支店から出金したという、願ってもない情報でした。
私は当初依頼人から相談を受けた時、すぐに警察に捜索願いを出すようにアドバイスしていました。警察は「民事不介入」の原則があるため、家出、ことに成人の駆け落ちとなると、「捜索をしてくれる」などということは全く期待できません。しかし、様々な機関に協力を要請する時には有効な裏付けとなるからでした。
そういう風に、警察にきちっと捜索願いを出しておいて、私は彼女が持って出た通帳の銀行に、彼女が出金すればどこからの支店からなのかを教えてくれるように要請しておいたのです。結果、彼女はやはり九州にいました。
銀行から連絡が入ったと同じ頃、今度はご主人の方から新たな情報が入ってきました。
ご主人の話によると、彼女の学生時代の親友が芦屋の嫁ぎ先を出て、福岡の実家に戻っていることが分かってきました。この親友は一年程前から離婚を考えており、そのことを彼女によく相談していたということでした。友人は身辺がバタバタしていたため、ここ二、三カ月は彼女に連絡を入れることができなかったけれど、落ち着いたので電話してきたのだと話したと言います。
「九州にそれだけの大親友がいるんでしたら、彼女はその友人を頼っているのかもしれませんよ」
私はご主人にそう言いました。ところが、ご主人はこう答えるのです。
「いや、それはないと思います。その友達は家内が家を出たことを全く知らずに、当然家にいるものと思って電話をしてきたんですから……。一応、あいつから連絡が入ったら、教えてくれるようには頼んでおきましたが」
この時、私はご主人に反論はしませんでしたが、内心はその友人の言を全面的に信じれないと思っていました。というのも、家出した者は、今、家ではどういう状況になっているのか、自分の捜索がどこまで進んでいるのかを絶対に知りたいものなのです。そのための「さぐり」はあり得ることなのです。
主人を放って駆け落ちした彼女が大牟田支店から出金したという情報を得て、私達は次に彼女が出金する日は給料が振り込まれた直後だと踏みました。
彼女を発見する最大のチャンスはその時しかありません。それは、二日後に迫っていました。
私は張り込み要員の手配をし、依頼人に情況を報告しました。すると、三時間後にご主人から連絡が入りました。是非とも自分も連れて行ってほしいと言うのです。
「尾行や張り込みにご依頼人さんを同行させるケースはございませんので、今回は大阪でお待ちいただけませんか?」
私はやんわりと断りました。実際、素人が尾行現場に入ると余計足手まといになります。それに、ご主人は直接の依頼人ではありませんでしたが、一番の当事者であることには間違いなく、当事者が現場にいるのは却って支障がきたすことが度々あります。例えば、彼女の方が先にご主人を見つければ、銀行に姿を現わさないことにもなります。 私はどうしても同行したいというご主人に、そのことも含めて説明しました。しかし、ご主人は引き下がりませんでした。 「絶対に邪魔にならないようにしますから。僕も行くつもりで休みも取りましたし、あいつが何を考えているのか、一刻も早く直接この耳で確かめたいんです」 そういうご主人の心情は分からないでもありません。私はご主人を張り込み現場には立たせない心積もりで、彼が同行することを認めました。
スタッフは現地でレンタカーを借りる手筈でしたが、ご主人は「本人を捕まえたら、このまま連れ帰りたい」と、自分は車で行くことを主張しました。スタッフには一足先に現地に向かわせ、ご主人の車には私が乗り込むことにしました。
当時、私は三十六歳、彼女が三十五歳でご主人が三十七歳。年齢的にも近いことがあって、依頼を受けて以来、ご主人は私にいろいろなことを相談してきていました。時には、「あいつは今、何を考えているんやろうか?」とか、「こんなことをするなんて、どういう心理なんやろうか?」などと、私に聞かれても答えようがないことまで尋ねてきたりしていました。
今回の依頼があって以来、私はよくご主人の相談に乗ってきました。彼は元気そうにしていても、やはり妻が男を作って駆け落ちをしたという事実にはショックを隠しきれず、時々考え込み、塞ぎ込んだりするのでした。
九州へ向かう道中もそうでした。憂鬱そうな顔をして、ただ運転しているだけのご主人の気持ちを、私は何とか明るくしようと、あれこれと話題を持ち出すのですが、結局は彼女の話に行き着き、「あいつは何を考えとったんかなぁ」と、溜め息まじりで呟くばかりでした。
「九州までこれじゃあ、私の方がしんどすぎる」
私の方が溜め息をつきたいくらいでした。
ところが、私がふとスキーの話をすると、彼は大いに乗ってきたのです。聞くと、彼は大のスキー好きで、例年、冬になるのを待ちかねて信州へよく出かけたとのこと。私は、やっと彼が生き生きと話す話題にぶつかり、ホッとしました。と同時に、これ幸いとばかり、この話題からそれないように注意していました。彼の方も、今までとは打って変わって楽しそうに話し続けるのでした。
が、ふと気づくと、走り続けいている中国縦貫道の前方で、警察官が大きく旗を振っているのが目に入りました。スピード違反に引っ掛かってしまったのです。
ご主人が興味を持つ話題にやっとぶつかり、私はスキーの話を大いに盛り上げようとしました。彼もまた、それについては生き生きと話し続けていました。
ところが、ふと気づくと、私達が走り続けていた中国縦貫道の前方で、警官が大きな旗を振り回し、「止まれ」と指示していました。スピード違反だったのです。 警官はこう言いました。 「すごいスピードでしたよ。四十キロオーバーですね。何故そんなに急いでおられたんですか?」
そして、こう続けたのです。
「助手席の人もスピードが出すぎだと気がつかなかったのですか? 異様なスピードですよ」
そう言われても、私は答えようがありません。確かに、視界の隅を流れる風景の速度は早いなとは思っていましたが、私としては落ち込んでいるご主人を何とか元気づけようと、そのことばかりに気をとられていたので、四十キロもオーバーしたスピードだったとは思いもよりませんでした。 私の次の心配は、ご主人がこれでまた落ち込んでしまうのではないかということでした。が、当のご主人は案外ケロッとしていて、私はホッとしたものでした。 こんな風にして、私達は九州に何とか到着し、尾行班と合流しました。翌日からの銀行での張り込みは、「ご主人がウロウロして彼女が先に見つければ、現れるものも現れない」と、尾行班のみが受け持つことを説得して、私とご主人は大牟田市内一円を彼女が住んでいそうな所や勤め先を当たることにしました。
一日目。銀行には彼女は現れず。私達の聞き込みにおいても、めぼしい情報を得ることができませんでした。
二日目も彼女は銀行には現れませんでした。私達は、この日も前日同様、住民票や保証人がなくても勤めやすそうなパチンコ店や水商売、仲居として働ける料理屋や旅館などを写真を持って、軒並みに当たったのですが、彼女らしい人物の影も形も出なかったのでした。 三日目。銀行にはやはり彼女は現れませんでした。私達は、今度は彼女が寝泊まりしていそうな場所、ビジネスホテルや旅館などを当たっていました。そして、そこで一つの収穫を得たのです。

<続>

単なる娘の家出ではなく・・・(1) | 秘密のあっ子ちゃん(119)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

このお話は、私が我が社「初恋の人探します社」を始めて間もない頃のことです。当時はまだまだ「“初恋の人”ではないのですが…」という人探しの調査の問い合わせがよくあったものです。
その初老の男性も初めにそう前置きして、「実は娘が家を出てしまったんですが、それを探してくれるということは可能ですか?」と聞いてこられました。
依頼人の話をよくよく聞くと、それは単なる「娘の家出」ではありませんでした。娘は三十五歳。人妻で、男と駆け落ちしたと言うのです。
翌日、更に詳しく打ち合わせするために、依頼人(六十二歳)は彼女のご主人を連れて当社へやって来ました。
男と駆け落ちしてしまったという彼女は明るくハキハキとした性格で、若い頃から活発でした。様々な能力にも秀いでており、結婚後も職を持ち、ある大手企業で責任あるポストに就いていました。
ご主人の方はと言えば、見るからに真面目で誠実、おとなしい感じの人でした。 二人は六年前、彼女が二十九歳、ご主人が三十一歳の時に、親戚の勧めで見合い結婚をしています。二人の間にはまだ子供はいませんでした。
その彼女(当時三十五歳)の様子がおかしくなったのは、結婚して四年が経った頃です。ご主人の勤務先はラインの製造工場で、三交替制でした。主人が夜勤の時は必ずと言っていい程、「残業」で帰宅が遅くなり、それが次第に日勤の時にも深夜の帰宅が頻繁に続いたのでした。
「スープの冷めない距離」に住んでいる依頼人、つまり彼女の父親は厳しく叱りました。
「そんな、亭主を放ったらかしにせなあかんような仕事なら、辞めてしまえ!」 けれど、彼女はこう反論しました。
「いくらお父さんが家の頭金を出してくれたからと言っても、あの人の給料だけやったら、ローンは払われへん!」
依頼人はいくつもの店舗を持つ自営業で、経済的なゆとりはありました。彼女が金銭的な問題で残業を重ねているなら、援助してもいいと申し出ました。
もともと、彼女とご主人の結婚は、「このまま放っておけば三十を過ぎても娘は嫁に行かない」と心配し、ご主人の真面目でおとなしい人柄を見込んで、依頼人が強力に進めた縁談でした。 ですから、依頼人は何としても婿が満足できるような生活を送らせたかったのです。
もともと、彼女とご主人との結婚は、いつまで経っても嫁に行かない娘のことを心配した依頼人が、主人の真面目でおとなしい性格を見込んで強力に進めた縁談でした。そのせいもあって、依頼人は何としても婿が満足な生活を送れるようにしたいと思っていました。ですから、娘が家のローンを払うために残業を重ね、主人のことを放ったらかしにするのなら、経済的な援助をしてもいいと申し出ました。
しかし、彼女はこう言うのです。
「そんな! お金の問題だけと違うわ。私は今の仕事を辞めて、家で引っ込もってるなんて、絶対嫌や!」 依頼人は少し気になることもあって、彼女にこう釘を刺しました。
「仕事を続けたいならそれでも構わんが、自分の亭主の面倒ぐらいちゃんと見なあかん。それと、お前、親に顔向けでけへんようなことは絶対してへんやろな!?」
[お父ちゃん、あほなこと言わんといて!]
彼女はそう答えました。それからしばらくは、彼女も早めに帰宅するようになり、こまごまとご主人の面倒を見る生活に戻りました。その年の正月は二人揃って実家に戻って来て、仲睦まじくやっていたのでした。
依頼人が釘を刺したことが功を奏してか、彼女はしばらくは早くに帰宅し、こまごまとご主人の面倒を見ていました。正月も二人揃って実家に戻ってき、仲良くやっていたとのことでした。 しかし、一月の末、ご主人が夜勤明けで自宅に戻ると、彼女は家を出ていたと言うのです。衣服や身の回りの小物などが無くなっており、「しばらくは帰りません。探さないで下さい」とだけ書かれた置き手紙が残されていました。
びっくりしたご主人がすぐに舅である依頼人に連絡し、依頼人が当社に問い合わせてきたという次第です。 ご主人を連れて詳しい話をするために当社にやってきたその前に、依頼人は彼女の職場に出向いていました。彼女の上司に面会し、事情を包み隠さず話した上で、何か心当たりがないかを尋ねようとしたのです。しかし、依頼人が事情を話すまでもなく、会社では彼女のことが大問題になっていました。
というのも、彼女と元上司が深い仲になっているのではないかということが会社では前々から半ば公然の秘密だったらしく、彼女が家を出る前日に、二人はそれぞれ退職願いを出して消えてしまったので、その噂で持ち切りだとのことでした。
依頼人は上司の話を聞いて愕然としました。
「退職願いを受理するかどうかという前に、朝、私が出勤すると置いてありましてネ。二人ともその日から出社していません」
上司はそう言いました。そして、こう付け加えたのです。
「実は、これはまだここだけの話ですが、男性の方が会社の金を使い込んでいる可能性があるんです。マ、これについては、今、経理の方で調べさせていただいておりますが……。それにしても、娘さんはつまらん男にひっかかったもんですなぁ」
上司の話によると、この男性は二、三年前からギャンブルに入れ込み、かなりの借金を抱えているのではないかということでした。その頃から仕事にも身が入らず、本来ならもっと昇進すべきところを、そういうことが原因して、今では窓際に追いやられていると言うのでした。
依頼人は娘の上司の話を聞いて、非常なショックを受けました。 以前、娘の様子を見ていて疑念を感じた時、「お前、親に顔向けできんようなことはしてないやろな」と釘を刺したものです。けれど、彼女は、その時、そんなことは鼻にもかけず頭から否定しました。しかし、実際は、随分以前から人妻の身でありながら、妻子ある男性と不倫関係にあったのでした。今、「失楽園症候群」という言葉が話題になっているようですが、このお話は六、七年も前のことです。
彼女が家を出た後、その男性と一緒にいるかどうかを確定する材料は何一つありませんでしたが、同時に退職願いを提出して、二人とも出社もせず姿を消していることから、二人は駆落ちをしたと見る方が自然でした。
依頼人がさらにショックを受けたのは、娘の相手の男性の人物像でした。
人妻に手を出したことはこの際不問に伏したとしても、四十半ばになろうとするのに、ギャンブルに入れ込み、妻子に苦労をかけ、会社の金を使い込むような男に、娘が惚れて家庭まで捨ててしまったということがどうしても依頼人には許せませんでした。婿に対して、娘の今回の不祥事を何と謝っていいものかと考えると、より一層許せないという気持ちが沸き上がってくるのでした。
依頼人は娘の上司に、相手の男のことについてさらに詳しく尋ねました。
それによると、その男性には小学六年生の男の子を頭に、三年生、幼稚園児の女の子がいるとのことでした。奥さんは病弱で、メヌエルという持病を抱えており、時々激し目まいに襲われると言います。彼がギャンブルにのめり始めると、それなりの給料を取っているにもかかわらず、所帯費も入れないことが度々重なり、彼と同期で入ったこの上司は奥さんから相談を受けたこともあったとのことです。さらに、上司は「今ではサラ金にも手を出しているのではないか」とも話しました。
「僕もネ、心配しまして、彼には何回となく忠告したんですがねぇ……。こういう事態になって非常に残念です。会社の金の使い込みについては、早く連絡が取れれば何とか押えられると思いますので、今、こちらでも探しているような状態です」
上司は既に彼の奥さんと連絡を取っていました。しかし、奥さんとは三ケ月前に離婚が成立し、それ以前からも彼は自宅には戻っていなかったという話を聞いています。
「この離婚についても、いろいろあるみたいで…」 上司はそう言いました。
聞くと、彼女の相手の男性は二、三年前からギャンブルにのめり込み、サラ金などの借金も重んできたため、所帯費も入れれなくなったとのことです。そのことは彼と同期であったこの上司が、以前より彼の妻から相談を受けていたことでしたが、それが一年程前に突然、彼の方から奥さんに離婚を申し入れてきたのだそうです。今にして思えば、その頃から彼は彼女と付き合っていたと考えられます。 奥さんはメヌエル病という持病を抱え、病弱にもかかわらず幼い三人の子供を育てるために、何とか所帯のやりくりをしてきました。しかし、離婚する気はさらさらありませんでした。
離婚届に判を押すことをずっと拒否してきましたが、そのうち夫は自宅にも戻って来なくなり、生活はますます窮してきました。「母子家庭としての生活保護を受けるためにも」と夫の執拗な説得に、子供達の生活のためならばと、渋々離婚届を出したとのことでした。 それが三ケ月前の話です。
娘の上司からこの間のいきさつのある程度の情報を得ると、依頼人はその足で彼女のご主人と一緒に当社にやって来ました。
今、彼女はその男性と一緒にいることは安易に想像できましたが、二人がどの辺りに逃げたのかということになると、依頼人とご主人の話を詳しく聞いても、私には雲を掴むような話でした。
私達はまず、彼の奥さんに接触しました。
「私も会社の人から話を聞いてびっくりしています。情けないやら、悔しいやら……。こんなことなら、離婚届に判を押すんじゃなかったと思います」
奥さんは暗い表情でそう言いました。今も体調はよくなさそうでした。
「最近、前以上に目眩に襲われることが多くて……。体がこんな状態ですから、働きに出ることもできなくて。保護のお金を貰えるようになりましたんで、切り詰めれば何とか生活はできるようになりましたけど……」
そして、こんな話をしてくれたのです。
「実は、二人が消える二日前も、私は夫のアパートに行ってるんです。その時も、夫と話をしてるんですよ」

<続く>

奥さんの家出(2) | 秘密のあっ子ちゃん(118)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

 やっと彼女(24才)の働いていることが判明してきた矢先、彼(42才)から連絡が入りました。
 「つい先程、彼女の勤務先が出てきましたので、今、連絡を入れようと思っていたところです」と私。
 「こっちの方も、本人から電話が入ったんですわ」 「まぁ、そうですか。よかったですねぇ。で、どこに住んでいるとおっしゃっておられました?」
「いや、それが、どこに住んでいるとか、どこで働いているとかは一切言いよりませんでした。ただ、ちゃんと生活しているから、心配するなと…。それで、アイツと同じ年ごろの男と暮らし始めたとも言ってました。その男は在日だから、今度は父親も許すだろうと…」
 彼女が別の男と暮し始めたらしいということを、彼があまりにも淡々と言うので、私はどう反応していいか言葉に詰まってしまいました。
 「そうですか。あんまり気落ちされないように…。職場の方は判明してきてますが、どうされますか?」私が言えたことは、そんなことだけでした。
 「そうですなぁ。年のことから言うても、親の反対のことを考えても、前歴のことから言うても、アイツがその男の方がいいんなら、その方がええんかもしれませんしなぁ…」
 彼は、彼女の将来を考えて、会いに行くかどうか迷っていました。しかし、結局はけじめとして、最後にもう一度会って話し合うために、出かけていきました。 「きっちり別れる話がついた」と彼から連絡が入ったのは、その日のうちでした。
 それから、三ケ月程して、再び彼がやってきました。今やっている不動産の会社の業務上のことで、信用調査をしてほしいというのがその目的でした。
 梅雨の蒸し蒸しした日でした。彼はTシャツの上に長そでのシャツを着こんでいて、かなりの汗をかいていました。
 「脱いで下さって結構ですよ」と私は言いました。 「いや、ちょっと脱げないんですわ」
「どうして?」
「あれから、墨を入れたんですわ。いや、決して極道に戻った訳やありませんで。マ、言うならばアイツへの礼儀ちゅうとこですわ」 「ほんまかいな?」と私は思いました。でも、それが本心なら、よっぽど惚れていたんだなあとも思いました。
 彼は「見はりまっか?」と言って、背中一面と肩から腕にかけて彫った、まだ真新しい、それは見事な入墨を私に見せてくれました。

<終>